何事もほどほどに、というのが常ですが、その加減は簡単そうで難しいものです。
過ぎたるは及ばざるがごとし
ということわざもありますね。
がんばって努力して何かを達成するやり方がありますが、やり過ぎるときは、達成感で感じるような快感はありません。
勤勉や努力など研磨によりがんばることは、似て非なるのです。
先週末の癒しフェアで、「宇宙銀行を探訪する!」ワークショップをやらせていただきました。
その関係もあり、豊かさに関連する事例とテーマをご紹介します。
がんばり過ぎると貧しくなる可能性がある理由は、あるポイントを越えるとかえって無駄や浪費が起こるところにあります。
お金だけに限らず、体力をはじめとするさまざまなカタチでエネルギーの漏れが起こります。
それが頑張っている本人が無駄や浪費を起こすとは限らず、生活などを共にする身近な運命共同体の人物が、替わりに無駄や浪費を起こすことがあります。
職場や活動拠点において、他人がその役割を担うこともあります。
仕事をひとえに引き受け、周りは仕事をやってくれないからとがんばりすぎると、皮肉なことに昇給や評価が下がるのは珍しくありません。
なぜなら、人のお仕事もやりすぎている反面、本来の自分の仕事や役割を果たしていないからです。
ご本人はそうなつもりは毛頭ないのですが、がんばり過ぎている間に、客観的なところを感じるゆとりがありません。
家族の稼ぎ頭として、仕事に家事にとがんばってきたAさん。
ご自分でもそんな生活が続く日々に、疲れや無理を重々に感じていらっしゃいます。
しかし、自分が頑張らないと、誰もほかの家族や周りはやってくれない!という景色にみえており、止めるわけにはいきません。
人生の途中から、自分の家族の面倒をみるような塩梅になりました。
クイックに透視カウンセリングで拝見すると、ご家族の中にAさんが頑張るほど、仕事や自立した生活がし難くくなるメンバーがいます。
一人前にもなりにくいようです。
Aさんは、生活を切り詰めてがんばりながら、将来に対するお金や生活の不安は募るばかりです。
そして、生活を支えるであろう十分なお金や、実に漠然とした保証を得ることで頭がいっぱいになっています。
パラドックス(=逆説)ですが、焦らず心のゆとりを先にもつことで、だんだん物理的に満たされた状態にシフトしていきます。
焦らず、心のゆとりと言っても先立つものが先に必要だ!という貧しい感じ方を止めるのが先です。
貧しい感じ方は、面白いほど周囲を貧しい世界に変えてしまいます。
それが組織や国家レベルになると、なかなか一個人の意識で払拭するのは難しくなりますが、現状の日本で暮らせている方々は、ありがたいことに自分の意識がパワーを発揮できるでしょう。
会社の動向が思わしくなく、当初の年棒よりぐっと給与が下がってしまったことで、経済的な先行きが非常に不安になったTさん。
個人セッションの中でいくつかのワークをやってみると、
「そろそろ生活の質を上げていきたい」という気持ちが出てきました。
つまり、現状の暮らしぶりから、そろそろゆとりや余裕のある生活価値を求めている時期と、会社の動向があいまって、不安材料である給与に反映された模様と言えそうです。
行動的なTさんは、すでに転職活動も進めていましたが、転職すべきか、今の会社にとどまるほうがよいかと思案してもいます。
何より、Tさんにとっての本質的な豊かさは、「自由に自分の思うとおり決めたらよい」というもの。
豊かな心の内のTさんであるなら、どちらが良いか?の基準ではなく、自分が好む、自分でわかる、という判断が働くはずです。
ちなみに、誰しも、物事のよしあしや、あるべきしかるべきで結果を求めているときは、ご自身にとってのゆとりや、さまざまなカタチに通じる豊かさのエネルギーが不足気味の傾向にあります。
つまり、元気不足。
元気とは、元々の自分のエネルギー、自分らしさを体現する常態です。
消耗したり疲れすぎると、そのへんのさじ加減が鈍くなります。
がんばり過ぎて貧しくなりそうなら、しばし休息、静観する、落ち着くのが肝要です。
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意識が集中できるのも元気な証し。
がんばらなければいけない、と考えてしまうのも数々の雑念の特徴です。