あなたにとって「仕事」とは?
「働くこと」「普段の仕事」「職場」からどんな連想をしますか?
・仕事
・働くこと
・勤務しているなら勤務先の会社や店舗
・上司・同僚・部下など仕事上の人間関係
・仕事における評価や給与(対価)
何年〜何十年か仕事をしてきていると、たくさんの仕事にまつわるタグがついているはずです。
タグのなかでも、特に影響が強いものとして、
「仕事だから・・・・しなければならない」
「仕事をしないと××××××になる」
「仕事のせいで、他のことができない(制限、制約、負荷を伴う)」
「上司や会社(仕事)によって、自分の進退や家族の生活が影響を受ける」
ほかにも、給与や会社からの評価=自分の評価
など、おのずと認識しがちになります。
2020年のイヤーリーディングでも、「仕事・事業・勉学にまつわる」リーディングすると、ご本人の仕事にまつわるエピソードが数多く出てきます。
昨年の仕事が未消化のまま、今年こそは一年発起して課題をクリアにしたいと・・・まず抱負を定めている方もいます。
長年外資系でバリバリ働いてきたYさんは、一昨年、ご自身の決意の元に退職しました。
その後、すぐに転職はせず、しばらくご自分の人生の見直しもあり、そろそろ今年は仕事をしていこうかと考えています。
昨年は好きなことをやる、実行することで楽しみや活力を得て、真の意味で、魂が喜ぶような過ごし方をされました。
ところが、
Yさん「仕事については、自然な流れに任せて、もしやってみたいと思ったら、それをずっと続けるとかでなく、ひとまずやってみたりしたらよいでしょうか?」
一見すると、今の時代に合った働き方に聞こえるのですが、退職前の、しかも昭和や平成から引き継いでいる「仕事とはこういうものだ」といった諸々の価値観にタイムスリップしてしまうようです。
言葉は、前向きなものの、意識は旧い仕事のタグに引っ張られているのかもしれません。
それは、(令和でもほとんどの人が当然のように抱いている?)「仕事だから、働かないと」という、当然のように仕事に対して受け身に向き合っている状態です。
雇用されていると、それは当然に思えるかもしれませんが、実はそうでもないかも!しれません。
Yさんは、自分の生き方を変える意味でも退職し、自分の時間を過ごすようになり、その先にある仕事です。
周りがどう思うか、仕事としてどう見られるかよりも、ご自分がそれを(仕事)やりたいと感じること、志なり、ビジョンなり、興味や惹かれるものがあってこそ、Yさんにとって、意味があるものですね。
昨今、よく耳にする「働き方改革」というスローガンは、実は職場の中の慣習や労働管理の面だけでなく、むしろ本質的には、各々の意識の中で「仕事・働くこと」を租借して理解することを促しているように、感じます。
もっとも、働かされて、仕事しなくちゃならなかったら、意識を掘り下げるとか、自分の内面に向き合う時間なんてない!と感じるかもしれませんが😅
家族の病気を通して、ご自分の私生活や仕事においても覚醒(気づき、悟り)が起こったCさん。
それまでは、仕事でもほかのことでも、何かと周りの価値観に影響されており、それをご自分でも自覚しつつ、やっぱりご自分の本意より周りの期待や考えに応えるほうが魅力的に感じていたようです。
Cさん「それが急ーーーに、本当に大切なことと、そうでもないことの違いが、自分でもハッキリとわかるようになったんですよ!
だから職場でもとても楽です。なんでこういう仕事をまわりがしているのか、何が起こっているのか、だいだいわかります。これが考えたり悩むとは違って『わかる!』ということなんですね」
「わかる」は直感とも呼びますし、静かなところで(心の奥底などとも言える)自分に問えばわかる、ようなことです。
「仕事」にまつわるタグ、「働くこと」の価値や意義は、自分がつけたタグや価値・意義とは限らず、あんがい周囲から漫然と何年にもわたって聞かされていたことを、「そういうものだ」と納得して(納得したほうが都合がよいし)いるものです。
たとえば、親の時代や会社の先輩からよく聞かされたことが多いでしょう。
仕事や働くことについて、これらのタグを付け続けているために、苦労や苦悩を与えるものにしているなら?
タグを外していくと、あんがい中立的に、むしろ好調な仕事の氣を招くことができます。
さまざまな理由で長く仕事を干されたり、失業で苦労された方は、「仕事があって幸せ」「働くことが愉しい」と言います。
それは仕事そのものの如何ではなく、ご自身が仕事に意味を為していることを示しています。
年始のイヤーリーディングに限らず、お仕事や会社にまつわるご相談は、一年を通してあります。
Kさん「知り合いの紹介でやってみるか?というお声をいただいたんです。でもやってみたらよいチャンスだなと思う反面、自分の時間が削られるとか考えて。どうなのかな、やったほうがいいんでしょうか?」
ごもっともなご相談に聞こえますよね。
ちなみに、仕事に限らず、活動、遊び、お誘いなどでも、「・・・いいでしょうか?」「やめておいたほうが?」という観点で迷う、悩む、葛藤する方は、多いでしょう。
ポラリティ(二極化)の思考は、多くの人を葛藤や悩みモードに陥れますが、それは、いわゆる唯物的に捉えているため、必ず迷うことになります。
Kさんの例で続けますと、
その仕事の良し悪しを迷っているように感じ、その仕事についてわからない部分(曇り)を透視やカウンセリングで知りたい、というものです。
しかし、この仕事をやったほうがいいかどうかより、Kさん自身の常態や「やってみたいのか?」が、肝になります。
なぜ迷う気持ちが働くのか?
できる可能性があっても、乗り気にならないのは、自分の側に曇りや曖昧なところ、定まらないことがあるからです。
そして、この曇りや曖昧さは、自分を見ていない、という部分が入り口です。
Kさんに限らず、私たちは、迷いの元を、自分自身から外部の何か(人、物事、etc)にすり替えるのがとても得意なのです(汗)
仕事のきっかけをもらったこと、もしその仕事を受けたときの自分の眺めを、外から図ろうとしているのかもしれません。
まず、ご自分に向き合うこと。
自分に向き合う姿勢を取ることで、ほどなく、気づきが起こります。
そして、たとえば、その仕事について、もう少し具体的に交渉したり、調べるために行動を起こすでしょう。
「やりたいことをやっていい」「やりたい気持ち」は、仕事には反映されないという時代が過去に長かったせいもありますね。
しかし、もう働き改革あたりから、人のやりたくない仕事は、だんだん人がやらなくてもよくなっていきます。
その中には、かつてはやりがいを感じた仕事も、属性としては人としてやる必要はなくなるかもしれません。
でも、安心してください!(笑)
「やりがい」「意欲ややる気」を持って働いてきた人は、そのスピリッツは、次の仕事・活動などのカタチに転嫁することが可能です。
仕事をする、働くことより、改めてそれをやるときの心、意識、本気が問われつつある時代かもしれません。
それが人にしか出来ないこと、であれば。
よりお知らせをお届けいたします。
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