霊視・霊能の世界では、基本的に人の生死や病気に関わることは、取り扱わないのがルールです。
しかし、実際には他のご相談と付随して、尋ねられる方は少なくありません。
肉体の病は、元々気患い(気の病)から派生していますから、その症状の根本を見つけたり、回復のための方法など、ヒントは多々あるものです。
しかし、もはや物理的に現れている状態に対しては、「餅は餅屋」が異なります。
気のレベルでモノを申すと、不安や危惧を煽ることもあり、現実に行動する対処を阻んでしまう可能性があるからです。
気にもさまざまなレベルがあり、ある種の波長があうと、相手を動かしたり、活発化させる、やる気にさせる、勇気をあおることができます。
そうなると、霊視、霊能レベルの情報を言葉で伝えることで、現実が好転するこは多々あります。
しかし、いわゆる「保証がない」のが霊能界の掟でもあります(笑)
「母の日セラピー」を受けにいらしたHさん。
身内がらみの揉め事から裁判になり、長年仲の良かったごきょうだいと、音信不通になってしまったそうです。
Hさん自身は連絡を取りたいものの、ごきょうだい側の身内が阻んでいるのは、視てとれました。
「今後連絡を取ることはないと思いますが、安否(生死)が気になります。生きているのか?亡くなっているかもしれないのか?」と
人との縁を視るときに、たとえ肉体的に生きていらしても、絶縁のような結界が引かれていると、気のレベルでは亡くなってしまったように視えることがあります。
逆に、身体的には他界されていても、いわゆる心残り、波動の重たい無念や恨みがあると、地上に思いや念が留まり、あたかも生きているような現象が視えます。
仏教でいわれる、「成仏していない」ということですね。
Hさんのごきょうだいの場合は、(お名前から視て)出てくることは「きょうだいとしての縁は切れていない」「気になるなら、安否を確かめることは簡単」という「情報」です。
このようなご相談は、100人いれば100パターン、ケースバイケースです。
周りから強くカウンセリングを勧められていらしたSさん。
普段の生活風景を拝見すると、キッチンでお皿を洗っているSさんと幼い息子さんの姿を、少し心配そうに眺めるご主人の姿が頻繁に出てきました。
「うちは夫婦共働きなので、いつも主人がお皿洗いをしてくれていました」と。
カウンセリングカルテの家族構成には、「夫、自分、息子」と書いておられたSさんですが、実際は3週間前にご主人を亡くされていました。
『ご主人が眺めている・・・』その話を聞いて、初めてご主人との最後を話しはじめてくださいました。