今までも何回か「罪悪感」のテーマをコラムでご紹介させていただきました。
ケースバイケースにつき、「罪悪感」といっても、微妙に感じ方やニュアンスが違います。
今回の罪悪感は、多くの方が日常的に使っているかもしれない?罪悪感について。
会話の中で、あるいは心のなかで使っているパターンの中にある罪悪感として、
「〜すべきだ」
があります。
〜〜をやるべきだ。
〜〜をやるべきではない。
〜〜したほうがいいですか?(しなければならない)
他人や周りの言動だけでなく、自分自身に対してしばしば使っている方が多いでしょう。
会話の中でも「〜〜しなくちゃいけない」「〜〜をしていないからダメだ」などと、無意識に使っていることがあるでしょう。
つまり、すべきことをやっていなければ、恥や罪悪感につながりますし、やるべきでないことをやれば、同じように責める意識が働いています。
そして、そのことについて真意を考えないようにする特徴もあり、このような意識パターンは自らで気がつきにくいのです。
他人から、不愉快な思いをさせられることが多い。
不本意なこと、失礼なことをよくされる。
みんなではないものの、ひとり、ふたりと自分に対して辛くあたる人がいる。
自分の要望や望んでいることをわかってもらえない。
↑しかも身近な人たちから・・・
おもに人間関係を介して、罪悪感は表面化しやすいため、そんなふうに感じることが多かったり、慢性的に頻発するようであれば、ご自分のご自身に対する「罪悪感」を種明かししてみると気づきがありそうです。
言動や、気持ちの中で、しばしば「ねばならない」という観念や価値観が働くようなら・・・
自分が「被害者」になることを責めている、というパターンがありそうです。
被害者にならないように・・・つまり後々困ったりイヤなことにならないよう「ねばならない」「すべきだ」ということです。
ここでいう「被害者」は本質的な役割ですので、「被害者」と「加害者」は同じエネルギーを持っています。
ですから、誰か周りで「ねばならないことを、やっていない」「べきでないことを、やっている」ことには、直接なり、心の中であれ、責めます。
その相手から直接なり、間接的に不愉快という迷惑を被ることで「被害者」になりますし、相手を責めるという意味では「加害者」のエネルギーも発しています。
ちなみに、社会では、被害者と加害者はまるで正反対な立場ですが、本質では同類のエネルギーをもっています。
少し横道に逸れますが、この説明をサイキック講座やワークショップでお話すると、半信半疑な反応から・・・これまでの経験から、みなさんは合点がいくようです。
物質的な事例では、鍵と鍵穴のような関係であり、鍵が鍵穴より優位であるとか、その逆も不自然ですね。
両方が存在して然り、ということです。
また、本質的な事例では、身近なところでケンカや口論が勃発する様子を、客観的に最初から眺めていると、どっちもどっちなわけです。
その顛末で、物理的に受ける被害が大きい側が被害者であり、被害を講じた力が大きい側は加害者です。
被害者と加害者は、お互いに共通のテーマで対峙せずとも、潜在的な罪悪感を抱いていることが多く、多くは二元論の枠に強い価値観があるようです。
そのため、ある価値観に対してとても真面目であり、そのために視野や客観性が狭くなってしまうようです。
狭くなると、発想やひらめきが制限され、身に起こった経験を自分の思いたいような受け止め方や理解に変えることが難しくなります。
「経験そのものには、意味はない」というどなたかの古い名言があります。
経験に対する意味付けは、被害者や加害者など二元論の発想の中では自由にならず、多くは自分以外の何かや世間の漠然とした常識に固執してしまい、一層そこから抜けられず、苦しくなるようです。
社会人経験を積み、いくつかの職場を介して、仕事だけでなく人間関係の部分でも学びが多くなったKさん。
ご自身の転機として、より理想的な生き方、心のあり方、人間関係のめざすところがあり、ライフコーチングセッションをお受けになりました。
「自分はまだまだです。目標とするところはあり・・・」
と、きちんと書き出し、頭の中も整理がついていらっしゃいます。
前進したり、向上しようと思ったときに、多くの人が(おおざっぱにくくると)「恐れ」や不安を感じて自らブレーキをかけがちです。
Kさんの場合は学生時代の、今から思えば闇のような時期が、強いブレーキの働きになっていました。
「いやー、今(学生の自分を)見ても、本当にきつかった、かわいそうだと思いますよ。何の救いもなくて・・・」と。
こちらから拝察しても、確かに重たく、闇の中にいて辛そうでした。
さて、上記で。。。
自分が「被害者」になることを責めている、と書きましたが、より深い潜在意識に下りていくと・・・
そもそもは、自分自身が、今であれ過去であれ「被害者」という経験をした自分の人生を責めている、ということに通じていきます。
おうおうにして、自分は幸せになれない、という罰し方が、罪悪感の厄介なところです。
この認識は、長期にわたり「被害者」になり続けた人や、加害者的な相手に向かって直接訴えられない人は、人生の後半でふっとお気づきになることがあります。
先のKさんには、
「かわいそうだった自分を、今の自分が救います!」と和やかに癒しと励ましを(イメージ下で)して、エネルギーを回復してもらいました。
潜在意識は、イメージや想像(妄想)と現実を区別しませんので、塗り絵の下絵のような部分で、Kさんの認識を変えていきました。
実絵の部分は、ご自身の経験が明確にしていくでしょう。
もし、下絵の部分に罪悪感のエネルギーや思考パターンがあるようでしたら、リリースしましょう。
罪悪感は、他人も自分もコントロールしますし、非常にエネルギーを消耗するものです。