通称、(ジミー)大西ことマッド・デイモン主演の「ヒア アフター」を観てまいりました。
http://wwws.warnerbros.co.jp/hereafter/index.html
Cイーストウッド映画ということで、最近の映画予告に登場に。訳あってか、サイキック能力を封印した霊能者ジョージ(M.デイモン)のセリフが印象的です。
ちなみに、封印したり、「呪いだ」といった背景は、映画の中では深く触れてはいません。
むしろ、死後のあちらの世界、臨死体験、大切な人を亡くしたコチラの世界の人たちの視点が印象的に描かれています。
また封切りして間もないので、詳細は控えます。が、Yahoo映画のみなさんのレビューは、なかなか本質をついているものがありますね。
私は概ね、別の視点で観ていましたが(苦笑)、最近の海外ドラマでサイキックものですと「メンタリスト」があります。この主人公も訳あって、能力封印。
能力のために、恐怖や苦痛を味わったり、大切なものを失った経緯があると「封印」する傾向にあります。あるいは、霊的なものと“リアル”に関わることで、何かを整理する必要があるときも、能力と関わることを拒むようです。
ちなみに、私は封印はしていませんが、料金を上げさせていただいたことと、個人事業から法人(波動が重たくなる)にすることで、調整しました。
もっとも私の場合は、カウンセリング中や講座中に「アチラのほうからご子息や家族と話したいのだけど・・・」という展開です。ジョージのように、遺族のほうからみえることは、目的としていません。
さて、映画のなかで「サイキックリーディング(英語)」は死者と通信する、という日本語訳になっていますが、死者とは限りません。ストーリー上、そのように翻訳したのでしょうね。
ジョージは手に触れると、その人と関わりの深い霊とコンタクトします。これは、彼の場合で、霊能関係者、千差万別のコンタクト方法があります。
また、見えたり、声が聞こえたりするのも、ケースバイケース。映画のように、効果音はありませんので、それほどインパクトは強くありませんが、体感でくる場合もあります。
それは霊体のほうのタイプと、サイキック側のタイプ、および兼ね合いで違いがありますね。
ジョージは、能力を使ってしまうと、読んでもらった人との関係性が変わることを言っています。つまり、霊体との関わりが強くなってしまうので、体をもった「人」としての関係が壊れてしまったり、変質します。だから、私も霊的な用事で関わった方々は、顔も名前も記憶喪失のように消えてしまいます。知合いは何千人もいるだろうに、友だちがほとんどいないことになります。
というわけで、私は日常的には「お金もらわないと何も見えないよー」という自販機的スタンスで、興味本位なリクエストは断ります。”志麻さん”に用事がある方と、”わたし”の私生活は整理しています。
さて、映画のシーンは各国(サンフランシスコ、インドネシア、パリ、ロンドン)と飛びます。
ロンドンのサイキックアカデミーらしき場所が出てきますよ。結構、エセ霊能者が笑えますが、まぁ、およそ騙されないレベルでしょう(^^;;
イギリスやアメリカのワークショップで、ときどき「降霊会」というデモンストレーション的なイベントがあります。私自身は現実に行ったことはありません。
最後20分のシーンで、ジョージがマーカス兄弟のために、コンタクトするシーン。あのときのやりとりは、いたってホンモノです。情報を読み取るときに、目をそらすところ(私は左側にいきますが)、逐次通訳のように、読んだものを伝えるくだりは、「そうそう、あんな感じなのよー」と共感しました。
実際には、もっともっとおしゃべりなアチラの方が多いものです。
※こちらの奥様と、アチラのご主人で、生前の愛人発覚の件でケンカになったケースなんてありました(笑)映画と違って、感涙ケースのみならず。ドタンバでお笑いなことも多いのです。
私自身、「ヒアアフター」のシーンの中にある、ロンドンの同時多発テロの朝に、たまたまロンドンに到着し、地下鉄でBayswater駅からCircleLineに乗ろうとしていました。
乗る前に、Kensington Parkが目に入り、そこで20分余り日本の家族や知合いに電話やメールをしてから、駅に向かいました。ほどなくホームに入ってきた電車のドアが開くと、「この先の事故のために、ここでみなさん降りてください」というアナウンスがあり、それ以降不通になりました。
もし、早く乗っていたら、少なかず巻き込まれていた可能性がありました。そのことを、再びエンドロールを観ながら思い出しました。
しばし、祖母と祖父(ちょっと控えめに)の姿が「ほれほれ」とばかり現れましたが、この映画から、私が我が身として実感したことは、言うまでもありません。