「罪悪感」とは、とかく自分では認識しにくい観念のひとつです。

「ごめんねー、罪悪感を感じるわ」「私って罪悪感、強いんですよ」などと証言は、相手に自分のことを受けれてほしいので、口にしています。

ホンモノの罪悪感は、自分を罰してこそ存在が許される、という思い込みがあります。

他人のことを許さないことで、一番辛いのは、自分の心、ハートです。相手を許して、問題を手放したら、自分が楽になってしまいますから。

特定の人のことを許せず苦しんでいる方に、「もう許しない」「手放しなさい」「忘れなさい」という良識的な助言をきいたことがあると思います。そうしたほうが、自分が解放されるからですね。

ケースバイケースですが、罪悪感の大元は、過去において、「自分の存在のせいで〜〜なってしまった」という刷り込みや思い込みです。事実かもしれないし、罪悪感という側面でとらえているときもあるでしょう。

あるいは、誰かに「あなたの存在のせいで〜〜」とあるがままの様を否定された場合もあります。

さらに罪悪感の原型を遡ると、創造主に対するものです。つまり、どんな罪を犯したとしても絶対的に愛してくれる(受入れてくれる)存在を求めているようなのです。

このようなからくりをデフォルメしているのが、人情ドラマや、そうそう、韓流などわかりやすいですよ。相手を恨む、憎む、許さないという登場人物は、だいたい自分を責めながらも、誰かからの純粋で無条件な愛を求めています。