いつ何時、突然、大切な人を見送ることになるかは、わかりません。
「死別」について・・・ココでは遺された側の話です。
突然のアクシデントであれ、看病などある程度の歳月を経て死を迎えるのであれ、いずれも遺さる者の心は複雑に哀しみます。
死別を乗り越えるために、セラピーを受けにいらっしゃる方は、とても多いものです。とはいえ、全体験者からみれば、極々一部の方です。
夫や妻、子供、両親、きょうだい、友人、恋人、婚約者、愛人、職場の同僚、ペット・・・
亡くした直後に激しく悲しみや怒り、憤りが湧いてくる方もいれば、その時は無我夢中で乗り越え、歳月が経つにつれ辛くなる方もいます。何年も経ってから、突然過去に引き戻される場合もあります。
こればかりは、あまり他人の事例は感情的な参考にはならないでしょうが、共通しているのは、相応の地球時間の経過が必要ということ。急に受け入れられたり、理解できたり、お別れできてしまうわけではありません。
段階的に、別れに対する気持ちや生活の過ごし方が変わっていきます。
Fさんは、2ヶ月前にお子さんを亡くされました。なんとか子供の存在を自分で感じられるようになりたい、と魂やスピリチュアルの本をいろいろ読み、勉強し始めたそうです。
「私は鈍いのか、あの子が側にいるような気がするときもありますが、ハッキリしなくて」と。
時々、涙声になりながらも、気丈に、なんとか悲しみを乗り越えようとする強い意志をお持ちでした。
「いろいろ勉強して少し理解できることが増えてきました。ところが、昨日、突然どーんと辛くなってしまって、一日中何もできず、生きているのも本当に嫌になって、死にたくまでなって・・・」
さらにお話を伺うと、Fさんはその前日に、ある心理学系の会が開催した瞑想会に参加したとのこと。
そこはエネルギー的に安全に行っているようですが、確かにFさんの潜在意識に在る強い感情や感覚を開いたきっかけになったようです。
Fさんは、頭でなんとか乗り越えようとしてきました。それに対して、本当はこんなに辛いんだ!というホンネが表面意識に現れたのでしょう。
瞑想意識は、自分の本質と通じやすくなるからです。
このような辛い感情は、ふたをしても、いずれは出てきます。時間が経つよりは、早めに出たほうが心身的には健全です。
亡くなられても、しばらく〜ずっと、こちらの世界で一緒に暮らしている場合があります。
その方の分も食事の用意をしたり、外出するときは一緒に出かけたりします。
身内や周囲の人、医療的には「死を受け入れていない」というかもしれません。スピリチュアル的には、霊的存在として一緒にいると捉えますが、ある程度の時間はそういう解釈が、遺された者の心を支え、癒すはたらきがあります。
ちなみに、肉体的に生きている人も、肉体的に亡くなった人も、複数の「カラダ」(ソウル体・コスミック体など)があります。
神経が繊細になったり、ある種の感性に長けていると、肉体以外の「カラダ」が視えたり、感じるわけです。
それは、イメージや想像というカタチかもしれません。そのインパクトが強いほど、確かにソコに存在しています。
夜強烈な夢を見たとき、その夢を見たことは、当たり前のように信じますよね?
異なる次元において、「当たり前のように在る」実在感なのです。