ただいま会社の本サイトリニューアル工中ですが、ヘッドに「今週のお題」が書かれるようになりました。

一部のクラスではお話していますが、サイキック的な用語、今どきでいうスピリチュアルな見解についてわかりやすくご説明する枠です。

 

さて、「第六感=シックスセンス」とは、特殊能力に思われがちです。はい、確かに特殊性はありますが、ベースは誰しもが使っている代表的な五感なのです。

「本来、第六感という新しい感覚があるわけではない」というのが研究者らによる見解です。

もとを辿ると、ほかの五感と大きな違いがあるように思えた昔の人たちが、「これはよくわからない、未知なるモノだから『第六感』としておこう」と名づけました。

いつの時代も、わからない、解明できないものには、何か仮の名称をつけておきます。

ご存知のとおり、五感は、視覚・聴覚・感覚・臭覚・味覚ですね。このなかで、臭覚が五感のなかで最初に発達しました。視覚は、視覚メディア文明が開花して以来、圧倒的優位に、信頼性を勝ち取っています。しかし、生命にまつわる感覚は、臭覚、感覚が握っているものです。

第六感で受け取る情報は、先の五感に基づいていますが、大きな違いは場所(物質)と時間の概念を超越することです。

その場にいなくても、見えたり、声や音が聞こえたり、寒気や気配を感じたり、臭いや味がします。

今現在ではない、過去・・・それも何十年、何百年前の出来事や、未来とされることが、その場に無いはずなのに見えたり、聞こえたり、感じたりします。

五感がベースで入ってくる情報なのですが、空間をワープするようにやってくるわけです。

この大きな違いが、ほかの五感と第六感を区別しているところ。

霊能というと、月並みなところでは亡くなった方との対話が可能、などと思われますが、これは場所や時間の制約がない「想念」とコミュニケーションしている現象です。ちなみに、この「想念」は生きている人も同じように発しています。

というわけで、フツウに五感を備えている私たちは、これまでの人生で、あるいは日常無意識に第六感を使ってきているはずです。ただ、使用頻度が多少か、ほとんど未使用かの問題です。

また、場所(物質)や時間ベースに則った生活や価値観が強いと、当然、第六感にフローすることは少ないでしょう。

”研ぎすます”などというとちょっと極めモノ的ですが、五感の感性を磨いていくと、やがて「わかる」という感覚や「おりてくる」的な情報の得方をしていきます。個人によって、適性はあります。

そういう意味で、芸術、研究、発明、集中による作業において、閃きやアイディアがおこったり、これまで肉体を通してなかったような体験、身体能力を発揮することがあります。

五感の磨き方は、実にさまざまです。修行、瞑想で雑念を取る、といったテクニック的なことも、一般的に役立つでしょう。

個体差でいうと、精神集中タイプ、特化気質、一匹狼気質の人たちも、第六感優位なことが多いです。

また、病いや、(一般からみて)精神的に病んでいる、精神/知的障害者、知能的犯罪者とされる人たちは、むしろ第六感が強すぎるためにバランスを欠いているケースが多いものです。