この世の中に要らないモノは何もないし、要らない人、存在しないほうがよい人もいません。
まぁまぁ、そうはいっても「現実」はいろいろ嫌なことがあるじゃない?!
嫌いな人、迷惑ない人、多大な害をもたらす人だっているじゃないか!
絵空事ではないか!
真っ向、自分の周りには要らないものばかり、存在してほしくない人ばかり、という常態でしたら少々お憩み(休息、ゆとりetc)が必要かもしれません。
寝む、憩む、休むことで、「真の現実」が視えてくるようになるかもしれません。
その程度では視えないかもしれませんが、それもまた要らないことではない(笑)
周りに不満や文句や不安ばかりがあると感じている人たち、
自覚した不満や不安はないものの、それらから発生する言動をとっている人たち、心身がお疲れのことが多いものです。
体力レベルの生命力不足のみならず、
慢性的に人生にお疲れの方は、魂が疲弊していることが多く、気力・エネルギーレベルの生命力不足でしょうか。
たまには日常の観点から拓かれると、肝心な本質に気がつけるものです。
結局、この世の中のすべてのモノ、全ての人の存在意義は必然です。
それを否定したくなるときは、生と死を否定し、永遠の生命を見失っているのかもしれません。
ん、ひょっとしてパラドックス?
いえいえ、そもそもパラドックスは真理の一局面だと思います。
生と死を肯定するならば、永遠の生命がわかるものです(時に、自我がそれを否定することがあれども)。
永遠の生命とは、植物界、地層界が人間にはわかりやすく示してくれているでしょうか。
花が終わり、花の一区切りを花の死と思うでしょうか。
そうかもしれません(生け花や花瓶に飾った花など)。
自然界では、花の終わりは明らかにその植物のライフサイクルの一部ですよね。
季節や時には年月を経て、花や実をつけます。
「桃・栗3年、柿8年」説(←現代はわかりませぬ)。
土、地層は無機質に思えそうで、数百千年を経て、有機質な生命を発揮しますね。
自然界の歴史で知る限り、恐竜のミラクルでしょうか。
たまには地球を惑星レベルで認識するのも、真実となる現実、真実となる自分を確認するポイントです。
要らないものはないと腑に落ちているときは、あらゆるモノに対して自由なのかもしれません。
もう少し話を進めましょう・・・
このようなひとつの自然界の摂理にも、すでに新しい潮流が起こって時が経ちます。
人工的、生命ではないと認識されていたものが、新しい生命として新しいライフサイクルを形成しています。
お花の例で続けるなら、プリザーブドフラワーでしょうか。
人の意識や知能に近づいているものとしては、人工知能(ai)や部分的なテクノロジーの進化ですね。
これらにも、やはり視点を変えたライフサイクルがあることでしょうし、それ以前の人々の価値観、考え方、文化に新たな必要性の受け皿を大きくする証明と言えそうです。
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感性、知性、理解、行動、実践、安息なども、ある種のパワー!
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