腑(ハラ)と読みます。
検索で出ました。
手書きでは書けそうにありません(笑)
いろいろわからないことは、検索で調べて理解するのがすっかり当り前になりました。
便利ながら、その副作用や弊害らしきことを、しばしば透視カウンセリング中に発見することが増えています。
時期、時代によって、心や人生の問い、迷いが変わってくるのはオモシロイですが・・・
そもそも、わからないこと、知りたいことの「答え」「応え」にどう関わるのか?
ここは、ひとひねり入っています。
多くの人は、知ること、わかることで安心し納得すると錯覚していますが、一方では知ること、わかることのレベルによっては、余計に不安になったり、知ったことに振り回されています。
知ること、わかること、を求めているのは表層の欲求や知性です。(顕在意識)
そのレベルで十分なこと、表面でわかって進むことはたくさんありますよ!
それは、ガッツリ決めるようなことじゃなければ・・・です。
日常や仕事でそういうことはよくあります。
今は時短でネットが使えますが、本、資料、足労かけて許可を取り入手する場合も、共通するのは、探す方法よりも、探し処が肝心です。
的外れなところ、そもそも答えが存在しないところに、答えのボタンを押しても出てきません。
人間も動物も習性はすぐに身につくため、ご自分の肝心なものも「ソコ」にあると日頃の親しんだ方法を取るのだと思います。
もっとも、見つからないのも経験、ときには、見つからないのも楽しいですからね〜(隠れんぼとか?!そういう冒険やゲーム)
もとへ、
年末年始ということで、ご想像どおり、今年2018年のビジョンや活動についてのご相談が多い時期です。
はっきりしたビジョンや目標や充実感を持つことが大事ではないのですが、それらがあると、健康で心身とも元気であれるコツです。
イヤー・リーディングでは、冒頭で、みなさんの現状況を透視していきます。
Nさんは、最初のカウセリングで
「いろいろ今年はやりたいこと、やるんだろうなってことは思いついていて、ワクワクしてます。でも、どれに優先順位を置いたらいいのかとか、全部やったらめちゃくちゃ忙しくなりそうだし、と不安にもなります」
明るく話してくださいます。
普通に対面して、私が受ける印象と、透視モードで拝見した印象と、ガラリと変わることがたまにあります。
Nさんの場合、おっしゃっていることの前提には
「ワクワクすることはいいことだ、やりたいことや活動することは良いことだ」という価値観が、むしろ負担になりかけている様子が視えてきました。
意気揚々と船出したヨットに、たくさんの装備や娯楽品を積みすぎていて、徐々にヨットがバランスを崩していきそうな気配です。
Nさんの場合、意気揚々と船出することは純度の高い意識なのですが、積みすぎている装備や娯楽品は、Nさん自身のピュアな意思や理解よりも、周りから必要だろう、価値があるだろうと習わされた、使わないかもしれない雑貨のようでした。
Nさんが純度の高い意識で海洋を進むには、そのヨットの舵はNさん自身の腑にあるということ。
「腑」とは、はらわた、胃や腸の意味ですが、「心のそこ、しんそこ」という意味があります。
「腑に落ちる」=納得する
この例のほうが、わかりやすいでしょうか?
外からの情報が多いと、どうしても気が散りますが、イヤーリーディングの設問を進めていくと、「腑に落ちていない」ところでわかったつもりになっている方、理解したつもりでいるケースをしばしば目撃します。
「手を抜いている」「横着になれっこ」
「疲れていていっぱいいっぱい、腑に落とすところまでパワーない」
「だいぶ長らくそうなので、鈍くなり、腑に落ちるもなにも、よくわからないんですけど」
その違いを、精査して透視するのもオモシロイのですが、クライアントの方の人生全般がそこに集約される場合もあります。
日々や人生の価値を左右するのかも?と感じいることがあります。
↑ちょい怖い
昨年秋に、急に体調を崩して、そのことに年齢を感じ、またショックだったというSさん。
久しくブレてきたご自分のあり方を、今年は整えたいという本気を感じました。
そんなSさんが、2018年に整っていくと、Sさん自身の腑から、コンパスの足が伸びており、周りの経験、仕事、人などに関わっていく様が視えます。
さまざまな状況、周りの景色に対して、腑から動く、観察する、といった具合です。
腑から外れる癖がいくつかあり、そのなかで(他の方々にもよく見かける)顕著な例は、「過去」という括りにある事象にやたら!ウェイト(重き・重点)を置くことでした。
コンパスの先が過去を指すのですね。
今のことや、明日のことを想像しながら、習慣的に「ザ・過去」をポイントする、といった具合です。
ちなみに、「ザ・過去」を指すときは、腑が頭の上部あたりに浮いていることがあります。
もうひとつ、Sさんのケースから、みなさんにも実用的な事例をご紹介したいと思います。
今までは体調がわるかったり、年齢を感じる症状が出ると、そのことにとてもこだわっていました(それはフツウだと思いますよ)。
しかし、腑が定まると、まるで不調のある部位に手をおいて、さすりながら、「ここはよく頑張ったからね」「疲れが溜まったのかな」と自然にいたわるような気持ちで観察し、相応の手当てや対処をしている画像が視えます。
腑が定まるときの感覚や境地は、定まっているときにしかわからないのですが(笑)
腑に力があると、的を得た対処をしますし、コンパスのように自分の意図や意思を描くことができます。
昔から「ハラから呼吸をする」とか「ハラに力をいれて!」と言われていますよね。
肉体を離れた状態では、魂は自在に飛んでいきますが(←ちょっと雑な説明ですー笑)
肉体を持っているときは、自分の魂の自分の収まり処がハラであります(←これは実感することをオススメ)
車に対して所有者みたいなイメージかな・・・