「直感でわかる」ときには、その人なりの独特の「わかる」感覚があります。
直感で感じる、わかるというニュアンスやフィーリングを、冴えているときに自覚しておくとよいですね。
「直感でわかったような気がするけれど、思い込みかもしれない」
そんなふうにマインドが働いた時点で、少なからず「直感」からブレていますが、わるいことではありません。
直感が疑わしく思う理由や引っ掛かりがあるときですから、その理由や引っ掛かりに気がつくと、むしろスッキリします。
Oさんはある企画を思いついた時には「直感的にできそうだ、上手くいく」と感じたそうです。
「でも、具体的に考えを進めると、思い込みなのかもしれないなと、最初の直感を信じれなくなってきて。間違ってないですかね?」
そもそも、直感は、正しいor間違いの基準や、理由や根拠を伴うロジックがないところに起こります。
直感で感じることに正誤性を確認するマジメな方々はとても多く、実際にソコをご相談なさるクライアントさんは珍しくありません。
直感で受け取ったことを確認するには、実際に行動をしたり、アクションによって結果を知ることになります。
その行動や結果には、正誤性はありません。
ただ、しかるべき経験や感覚に至るまでです。
一方、「思い込みかもしれない=間違ってるかも」というマインドベースの基準は、根拠やプロセスが肝心なものだと思わせます。
そして、何らかの正誤性に落とし所を求めます。
マインド(思考)は、その正誤性はとても大切な基準だと主張します。
しかし、ハート(感覚的)は、この正誤性を問うレベルでの満足感、達成感、安心感などは得られません。
ですから、思い込みかもしれないと疑うところで、ハートの働きや感覚は大きく止まってしまいます。
先のOさんは「思い込みで間違いたくない」という、一見真っ当な判断をおっしゃっています。
最初に直感で感じとった時は、ワクワクしたり、軽やかであったのは、結果や正誤性にとらわれず、自由にプロセスを愉しむ(大変であろうことも含めて)次元に意識がありました。
しかし、マインドが思い込みかもしれないと喚起したことで、制約や制限が起こり、願い通りに事が運ばないかもしれないと、深刻な意識に波動が下がったようです。
次元や波動の上下は良し悪しではありませんが、それぞれの特性があります。
立場や状況、ことによりけりですが、直感を主軸にしていくなら「信じる」という核があってこそ進展します。
さらに、その直感のパワーを高めると、直感に従うことでプロセスが展開します。
理由や証明などの求めるマインドは、分析したり反省したりするときに有効ですが、行動力や推進力が必要なときは、ブレーキになります。
さらに、そこに恐れや疑いなどが含まれると、巨大なブロックにもなるでしょう。
先日の「サイキック講座入門」でのこと。
直感やサイキック能力について、
「自分にあるのかどうかわからないです。直感と思っても思い込みかもしれないですし」
とおっしゃる方が多かったですね。
おそらく、普段の日常生活や、社会という人間関係との関わりが濃厚なときは、直感やひらめきという意識から下がりますので、ごもっともだと思います。
とはいえ、普段からもっと直感を信じて、スッキリと判断して生きたい!というようでしたら、2つコツをご紹介しますね。
1)直感が働きにくいのは、普段から、自分以外の誰か、何かにいつも気持ちや関心を注いでいるからです。
それが当たり前な意識習慣になっているかもしれません。
いつも何かを読んだり、見たり、聞いたり・・・
ピュアな自分の意識や感覚を味わう瞬間が少ないのでしょう。
周りに気が散っていることに、まずは気づくだけでも、その瞬間は自己の直感や感覚を取り戻しています。
2)直感でわかる(視る、感じる)、直感で聴くは、とても静かで穏やかな意識ゾーンで起こっています。
思い込みの情報を引き起こすのは、まるでいつもテレビをつけっぱなしにしているような、あるいは、いつもネットの情報と繋がっているような賑やかなところです。
物理的に賑やかな環境であるだけでなく、自分の頭の中で、いつも何かを考えたり、文句や不満を唱えているようなことも、かなり煩いはずです
それらから、意識的に短時間でも習慣的にOFFにして、自分の意識を感じるようにしましょう。
結果的に直感が当たった、外れた、ということはあります。
しかし、まず最初から当たりハズレにこだわると、直感は働かなくなります。
サイキック講座の実習レッスンでも、
「リーディングで読んだものが当たっているか?間違っていたらどうしよう」
という〈雑念〉が入り込むと、エネルギー情報が読めなくなり、楽しくなくなっていくのですよ