認定を受けて障害者手帳を持つ人、

軽度であるものの身体・精神に何らかの障害を持っている人、

 

生まれながら、あるいは後天的に「障害」を伴う人生を送られている方は、意外に多いものです。

 

その身体の障害が、ご本人や身近な人たちに大きな意味や難儀が伴うこともあれば、障害と調和をし、肯定的で豊かな人生へ繋がっていらっしゃることもあります。

 

とかく肉体や精神(挙動・言動など)で目に見える障害の場合、障害と共に生きる方々は、さまざまな価値観と遭遇することになります。

 

そして、多くの場合、ご自身の障害に対する想いや関わり方が、先々には周囲からの障害に対する理解や反応につながるようです。

 

 

「障害」と言うワードは、社会的にデリケートです。

 

しかし、近年は、国内外で理解し共感する心が広がっていますし、協力的な意識に設備や対応面も追いついてきています。

人々の理解と、それが反映されるには、相応の時間がかかりますが、マスレベル(大衆)に広がる上でよくあるタイムラグであり、「進化」です。

 

 

西洋医学による診断の精神疾患や「心の病」(○○病や症候群など)の中にも、歴史的には、魔女や化け物扱いをされた歴史があり、現在は、魔女や化け物はだいぶ得体が知れてしまったためか(笑)時代は「不治の〜」「遺伝的な〜」など、将来を絶望的または危惧する風潮に変わりました。

 

特に、平均的な教育や、一般大衆に向けて届けられる情報は、「不治の〜」「遺伝的な〜」「将来への危惧」を孕む症状や「障害」と微妙に隣り合わせです。

 

むしろ「障害」として認定して受け入れた方が、安堵する当事者や周囲の理解が多いものです。

 

一部、社会的なタブーや、一般的な価値観に反駁する行為も「障害」「症候群」に、しばしば招かれます。

 

広義な意味の「障害」は、その「障害」を目撃したり感じた人にとって障りや災いと捉えると、文字どおり「障害」になります。

 

すると、身体・精神などの「障害」を持つ当事者よりも、「障害」の目撃者たちの〈心の目に障害〉があるとき、その障害はかなり問題になります。

〈心の目の障害〉とは、露骨な言動や相手に対するアクションになるとわかりやすい問題ですが、それ以前に葛藤や憤り、不安や恐れなどが起こり、目撃者の方も苦しいのです。

まさに「障害」です。

 

妙な表現に聞こえるかもしれませんが、健やかに「障害」と接している人たちも、意外にたくさんいます。

物理的な不便さや、特定の決まり事はあるものの、「障害」とうまく調和している、折り合いをつけている方達です。

 

いろいろ乗り越えてそこに至ったり、先天的な「学び」であるため到達したのでしょう。

 

むしろ、ふつうの暮らし、生活を過ごすいわゆる「健常者」で、〈心の目の障害〉がある人は、非常に多いようです。

たまに、障害が起こるレベルから(疲れ目やドライアイ程度か?)、慢性的に心の目が病んでしまい障害に至っているレベルまで。

 

 

〈心の目の障害〉がある初期段階は、周囲の障害や問題を目撃した時に、軽度の不快感、違和感、異質感を抱いたり、関わりを避けるようになります。

 

 

〈心の目の障害〉がある中期段階は、周囲の障害や問題を目撃した時に、不安や恐れを徐々に強く抱き始めます。そして、そこから広がる想像、妄想により、さらに恐れや不快感が増していきます。

受動的なタイプはその不安や恐れによって、行動が制約されるなど不自由になります。

能動的なタイプは、その不安や恐れから、障害や問題を攻撃したり、コントロールしたり、抹消しようとします。

 

 

〈心の目の障害〉がある終末期に向けては、周囲の障害や問題を抹消することがミッションや使命になり、個人的な恐れや不安が周りを大きく巻き込み始めます。

その力が増すごとに、〈心の目の障害〉は、自分自身をも破壊する道を選んでいきます。

 

初期、中期の〈心の目に障害〉がテーマのケースは、クライアントの方々に少なからずアリです。

 

場所や相手によっては、その〈心の目に障害〉は偏見や差別的にも聞こえるでしょう。

しかし、そのような〈心の目に障害〉にかかる理由や背景があり、また障害からご自身が解放される方法や工夫があります。

そういう障害の経験は、ご本人次第ですが、後々には何らかの役に立つかもしれません。

 

〈心の目に障害〉になる大元のきっかけは、どうやら、ご本人にとって「大切な愛」を失ったり、愛や愛情の慢性的な欠如のようです。

大切な愛、愛情とは、特定の人や身近な人間関係、動植物、自然、生命力、信頼、(信仰によって)神様・・・etcによってもたらされるような本質です。

 

逆に、不自然で人工的なことが増し、個として管理されすぎるあるポイントを超えると、気づかぬうちに〈心の目に障害〉を患い始める傾向にあります。

潜在的に内在している不安や恐れが、外部からの不安や恐れを煽るようなことに反応し、〈心の目に障害〉が起こり始めることもしばしばです。

 

 

ところで、

志麻ヒプノには、これまで赤ちゃんが欲しい、不妊治療をしている、という女性のクライアントさんがたくさんいらっしゃいました。

思えば、今ほど不妊治療が一般に浸透する前からですね。

 

実年齢がお若い方でも、高齢出産に属する方でも、健康で「障害」のない赤ちゃんを持ちたいという願いがあります。

 

しかし、その願いが、障害や問題のある赤ちゃんを持ったらどうしよう、という不安や恐れが極度に強くなると、〈心の目に障害〉に近づいていくようです。

 

 

しばらく不妊治療を中断し、再開したほうがいいのか?もうこのまま諦めたほうがいいのか?と、選択を悩んでいるWさん。

 

「ちゃんと健康な赤ちゃんを持てるなら、子供は欲しいので治療を再開しようと考えてます。卵(卵子)も凍結して保管してもらってますし・・・でも、もし赤ちゃんに障害の出る可能性があるなら諦めたほうがいいのか?わからなくて」

 

もともと、わからない、というか未知数の可能性について、答えを出そうとするアプローチなので、そのままベストアンサーを出すのは至極難解。

 

Wさんの波動を、人工的なレベルから、本質的な母性まで上げてリーディングをする

 

「自然だと感じられること、あなたがナチュラルであれること」

とのこと。

 

 

考えすぎてしまっているWさんには、かえってわかりにくいようで、賢明な潜在意識に入ってもらう体験を誘導していきました。

 

すると、

「母親、赤ちゃん、家族、健康などに対する理想」という幻影が、治療や赤ちゃんに対する恐れや不安につながっているエピソードとつながりました。

 

その幻影は、他人の話題やネットの情報、漠然とした常識にも感化され、Wさんの心の目に恐れを与えているようです。

 

 

不妊治療をしながら、赤ちゃんのためにきちんと健康や食事に気をつけて生活していらしたNさん。

やがて、いろいろな化学製品や胎児に影響を与える可能性があるモノを極度に拒否するようになり、手に触れるもの、体に入るものに不安が強くなっていったそうです。

 

セッションにいらしたときは、ご自分の不安は、現実的でないことを頭では理解されており、しかし、まだときどき押し寄せる不安な気持ちを解消したい、という状況でした。

 

不安なモードになると、Nさんは

「障害のない赤ちゃんを持てますよね?」

という確認発言になります。

 

「障害」は人の心の中にある、あなたの心の目が障害にかかっていますけど・・・ねー

 

というリーディングの情報を最後にお伝えした頃には、Nさんも少しご自分で笑えるほどにエネルギーは動いてくれていました。

 

Nさんには、現実レベルで、自然の山や緑の中で時間を過ごしたり、体を温めたり、体感を感じたり、長年の会社員生活から自分の時間やプライベートの生活の方を重んじるなどの、実体験は必須です。

 

多くのケースでは、心が障害や不自由な状態からリセットするには、自然に委ねる(文字通りの自然や、ナチュラルな状態)のが、副作用などなく、回復、解放される方法です。

 

 

身体の障害であれ、ここでご紹介した「心の目の障害」であれ、

この世の中に、障害を持つ人が本当にいなくなるということは、自然界に不揃いなリンゴがなくなるようなものだと、私は思いますほっこり

 

 

 

流れ星[志麻ひぷのTIMES]流れ星

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