ここ数日、「彼岸」の世界(あちらの世界)からのメッセージがとても多い・・・ふとカレンダーを見れば、3月17日は彼岸の入りですね。
春のお彼岸は「春分の日=3月20日」を中日として、前後7日間がお彼岸です。
今年2017年は:
彼岸入り:3月17日(金)
彼岸明け:3月23日(木)
となります。
お彼岸とは、「煩悩に満ちた現世である此岸(しがん)を離れて、修行を積むことで煩悩を脱して、悟りの境地に達した世界(=彼の岸)に到達する」という意味を持つそうです。
お彼岸にお墓参りの習慣があるのは、仏教をベースにした文化の中でも、日本独特の風習と言われています。
昔から、先祖崇拝や、豊作を祈願する日本文化らしさのようですね。
(参考:エンディングパークHPより)
世代を問わず、お盆、お彼岸の時期には、どうやらご先祖様や他界なさったお身内の方々が、こちらの世界が気になり、親交のある子供や孫たちをお気遣いになるようです。
私自身はカレンダーを忘れていますが、例年これらの時期にご相談にいらっしゃるクライアントさんのご予約は、概ね、上の方が誘導していらっしゃるに違いありません
「それほど大して困っていることはないのですが、私の周りの人たちが困っているのを見ると、何か私自身これから気をつけた方がいいことはあるでしょうか?」
まるで他人事のような話から入ったUさんの電話カウンセリング。
自然な流れとして、Uさんは春から周りの環境や人間関係が快適になることをお伝えしながらも、敢えていうなら、「楽しみに!そのお心算でいましょう」という具合。
要件はすぐに終わりました。
するとUさんの方から・・・
「志麻さんは、亡くなった身内、親や祖父母ではなくて、親戚のこととかもわかるんですよね?!」
と切り出してこられました。
このお言葉は、そもそもUさんのお祖父様から振られたことは、すぐわかりました(お祖父様らしき姿が視えるため)。
「すでにご主人を亡くされた母親ぐらいの女性=叔母様・・・・が、会いに来てくれたら喜びそうですよ。特にお寂しい訳ではないけれど、Uさんが来ると、パッとお顔の表情が明るくなる感じで・・・。(叔母様は)明るい色とか、お花を持って行くと嬉しい見たい・・・・」
Uさん曰く、すでに叔母様は亡くなっているおり、生前とてもよく可愛がってくれたそうです。お花も大好きとのこと!
私には、叔母様が亡くなったというより、どこか故郷にいらっしゃるような姿に視え、叔母様の息子さんは、しばし忙しいのか、お墓は寂しそうです。
ちょっとお参りに行かれると、叔母様もUさんも晴れやかになるような印象を受けました。
きっとお祖父様が、叔母様(=娘)を気にかけられたのでしょう。
数年来、ご家族メンバーがご相談にいらっしゃるKさん一家。
今回は珍しく、ご長女の旦那さんがお仕事のご相談に真剣にいらっしゃいました。
ご主人はスポーツマンタイプですから、そもそもスピリチュアルなどはあまり関心をお持ちでなかったはずです。
初めてのカウンセリングということで、奥さんとKさんがお連れになり、「あとはよろしくお願いしまーす!」と街の散策やお買物に出てしまいました。
じっくり旦那さんのお仕事やごく近い先行きを視ていきながら、リーディングの最中は、故郷にいるたくさんのお身内が、様々に濃い情報をお伝えくださいました。
東京で自由に暮らしている旦那さんはご長男であり、身内からの期待や役割は錚々たるものです。
第7チャクラ、高次の霊的な情報では、お祖母様らしき女性がいらっしゃいます。
「今、ご病気のお祖父ちゃんのことで、お祖母様がちゃんと準備していることがあるみたい・・・・程なく、ご実家の方たちは慌ただしく・・・お父さんのお気持ちを少し支える時間を取ってほしいみたい(by お祖母様)」
その代わりと言っては何ですが、ご主人のお仕事の先行きは、しっかりサポートしてくださるようでした
一通り、旦那さんの透視カウンセリングが終わると、奥さんとKさんもお部屋に入っていただきました。
正確には、昨年夏に旅立たれたKさんのご主人が、まるで妻、娘、娘の夫に伝えたいことがおありだったようです。
生前からとても実直でパワフルな方でしたので、半年余りですでにあちらの世界からアクセスするコツを掴まれていらっしゃるみたい!
つまり、この春は「初彼岸」(亡くなってから初めて迎えるお彼岸)となります。
「生前に知っていた人たちが急に家族に挨拶に来ることが増えるから、丁重にお相手をしてほしい」
とのこと。
他にも、いくつかご家族にご伝言があり、物理的にいる人数よりも賑やかな印象に変わりました。
霊界からの方がお部屋にみえると、異常に気が明るくなるものです。
衝動的に咽せるような強い感情を感じ入りましたが、それは、ご家族に伝えたいという真の「想い」だと思います。
このように、亡くなった大切な方について(物理的な寂しさや悲しみを感じることがあっても)自然に話題にすることができる方、ご家族、または死を覚悟するような事態に比較的向き合える方々は、「死」に対する恐怖や怒りがないところに意識や価値観をお持ちのようです。
いえ、少なからず「死」に対する危惧や不安はあるでしょうが、感じ方や受け止め方が変わっていくプロセスを経ていくようです。
「死」に大して、「愛」が優っている・・・あるいは、葛藤や苦しみを経ながら、深い「愛」が「人としての物理的な死」を超えたのかもしれません。
すると
・・・お仏壇の前や墓前で故人とフツウにお話ししたり、亡くなった家族のことをリビングでフツウに話したり、ふと故人の気配を感じたり、夢に元気そうに現れたりして・・・
新しいコミュニケーションが自然に発生します!
古来から日本の仏教的な風習に、宿っていることですね。
したがって、死を否定し拒絶すると、このような新しい「生」のコミュニケーションも閉ざされてしまいます。