「何かをやる・する」というDoing、その結果「何を成したか」というDoneが人の価値を決めるように思われがちです。
自分自身に対して「○○をやった!」「何もやらなかったからダメ?!」という満足感・達成感の基準として、自己評価にしがちです。
他人に対して、それらを当てはめることもあり、それが評価や批判の元にあるようです。
Doingが問題なくうまくいっているとき、その志や意図には、矛盾のない、理に叶った常態(Being)があります。
この「常態」とは、行動のうわべだけを観察していても認識しづらいのですが、信頼感や安定感など周りに好意的な態度や姿勢として映り、何より自分自身の本心と言動が一貫しています。
つまり、自分に偽りないBeing(常態)からDoing(行動)に一貫している時は、とても気持ちよく、スムーズに物事が発展します。
多少のタイムラグや手間を要することもありますが、本人のBeingはそこでブレないはずです。
一方、「まずはカタチから」あるいは、正直自分で納得していないのに我慢したり頑張ってDoingをやっていると、ある程度は進めてもストレスや無理が起こったりはじめるでしょう。
ある意味、Doingができないのではなく、正直な素(ス)が現れたのですね。
活動や習慣的にやっていることに、義務感や不快感があるなら、今一度、本質であるBeingを自分に正直に見直してみると良いでしょう。
少し勇気がいる場合もありますが、内なる違和感が解消されると行動や態度はとてもスッキリするはず。
改めて、そのDoingがなぜ大切なのか、誰のために大切なのかなど、肝心な思いや源に通じると、もっと心地の良い在り方(Being)で、前向きに取り組めるでしょう。
そして、もし、建前、大義名分、勘違い、先入観などのエゴが邪魔をしていたと気づいたなら、それらにバッサリ見切りをつけた方が賢明かと思われます。
たとえ、周りが建前や大義名分を掲げているように思えても、それはエゴの投影でありますから・・・(自己投影をやめると、周りは明確に変わります)。
結局、私たちは、何をやったかやらなかったか、何を言ったか言わなかったか・・・ではなく、その人の在り方に価値を感じて共感・共鳴しています(無意識に)。
私なりの観察ですが・・・
この1年のセッションを通じて、しばしば、Doingのトリックに引っ掛かっておられるケースが多いと判明しました(汗)
「○○が起こったからどうしよう」
「○○さん(家族だったり他人だったりetc)がこうした、ああ言った」
「もしこうなったら困るので不安だ」
「この出来事はどういう意味があるのか?」
「どういう結果になるのだろう?」
「どうすれば、うまくいくか?失敗するか?」
「何をやりたいのか、はっきりしない」
「頑張ってやろうとしてうまくいかない」
・・・・簡単な応えは(ぶっちゃけ)「それらはどうでもいいこと」です。
そこをあまりにもメインに気にかけているため、問題になっているに思えています。
Beingの境地や心持ちが平和に定まるなら、自然にうまく本物のDoingが運びます。
この”ぶっちゃけ”に合点がいくようなら、すぐに活用できる能力や経験を備えています。
うっかりそのことを忘れていたり、少しばかり己の気づきが曇っていたのかもしれません。
この”ぶっちゃけ”がピンとこない、そんなはずはない!と身構えてしまうようなら、それも間違いではありません。
しばし過去に残っている癒しや課題を丁寧に向き合ってあげると良いでしょう。
過去に癒しや課題があるとき、意識はどうしても過去や未来や他人など外側の世界によって判断しようとします。
ただ、そのようにして癒そう、課題をクリアしようと頑張ることが、今この瞬間の「境地」や「在り方」に生きることを妨げてしまいます。
癒しや課題の他に、エネルギーが消耗しているため、浄化が充電が必要なこともあります。
「変えたい」「変わりたい」と願う多くの方々の本質は、Doing<Beingに生きることを求めていますが、その途中、物質的なDoingを満たす経過をたどるのだと思います。
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