世界の中でも、とりわけ日本人にとって「英会話」「(英語)語学教材」は、いつか憧れのスキルを満たしてくれるようで、処分するにはばかられるモノです!
だだ今、年末に向けて早くも自分をクリアにスッキリ片付け始めている方は、クリアランスセラピー2016を恐る恐る(笑)受けにいらっしゃいます。
おそらくスッキリしたいけれど、意外なモノが出てきそうで、楽しみやら怖いやらなのかもしれませんね。
でも、概ねはご自身を見つめる余裕や、客観視する意識をお持ちの方が多いです。
さて、そのクリアランスセラピー2016は、4つのテーマに分かれていますが、その中で「自覚のない不要品」「自覚しながら所有している不要品」をそれぞれ見つけ出していただきます。
Mさんは
「昔から持っている英会話のCDです!一度やってそれっきり保管してますが、またいつかちゃんとやろうと思って・・・でももうやりそうにないのもわかっているんですが・・・捨てられません」
Kさんは
「英会話の教材です!(ご自身でもさもあらんとー笑)」
外資系の職場では英語が必要な為、もっとしっかり自信をもって話していきたいという願いを持ちながら、何年も教材は手元にあります。
「それでも、片付けのたびに、少しづつは処分してるんですけどね」と。
とかく勉強熱心な方、学ぶ姿勢を大事にしているタイプほど、語学に限らず、テキストや教材を手元に残しておきがちです。
日本人に限って・・・というのは、昨今の幼稚園・児童教育は多少改革されていますが、つい最近まで「英語は勉強するもの」「勉強すれば上手くなる」といった考え方が普及してきました。
そして、「どこか&いつか」に十分な「英会話や英語がわかる」ポイント(ゴール)があって、ソコを目指そう!という位置づけにもなっています。
英語に限りませんが、本当の学びは使うこと、試す(実際にチャレンジ)ことで活きてきますね。
ところどころは「学ぶ」「勉強する」ことで、実際のチャレンジが伸びていきます。
学び・勉強の場(環境や状況)にいる間は、前提として「できる・できない」の基準があるがゆえ、ホンモノの「できる」にはなれません。
これまでの日本の英語教育の文化や仕組みは、例えとしてとてもわかりやすいですが、さまざまな趣味や習い事、学習、プロに通じるスキルに共通する点だと思います。
そもそも、なぜ熱心に取り組み続ける日本人の英語教育が遅れてきたのか?については、国際政治的な都市伝説があります
ネットに書いていいものか???なので、今回はパスします!
元へ・・・
さて、先出のKさんの場合、英語教材を持ち続けていた理由を掘り下げました。
「『足りない、足りない』という気持ちからですね・・・」
なんと、あっさり掘れました。
物理的に教材を捨てられないのは、「満たされていない」「自分が何か(漠然とした完全・理想とする完璧)に未だ至っていない」という、不安や不足感から起こっていたようです。
不安や不足感そのものは、それほどNGではありません。
むしろちゃんと向き合えているような時は、かえって向上心や成長になり、チャレンジしたり具体的なアクションを起こします。
向き合っているようで、なんとなく逃げてしまうようだと(恐れが強いとき、何か大切なことが癒されていないとき)、足りないことにむしろ執着してしまい、本人としても不本意ながら、不安や不足感とともに過ごす生き方になりがちです。
勉強や学びが自己の内側で起こる内容・テーマの場合(語学でもなんでも!)は、概して、どんなレベルにあっても自発的なやる気がわき、ぐんぐん習得・成長するものです。
一方、勉強や学びが、自分の本意からではなく、外側の都合のためにやるような内容・テーマの場合、やらされている感やストレスがおこり、評価や結果を気にするような姿勢になってしまうでしょう。期間限定であれば習得、成長は見込めますが。
例えば、受験勉強でも、内側からやる気を起こす生徒さんは、自発的に勉強し、それが楽しさや熱意を煽ります。
ちなみに、内容やテーマそのものはあまり問題ではないようです。
最初は自発的に楽しく学んでいたものが、習得・成長する過程で、周りからの期待やプレッシャーを感じ、外側に成果を証明しなければいけないと”錯覚”するようになると、学びの主体性や感度が鈍ってきます。
逆に、最初はやらされている感だったものが、先生(指導者・コーチなど)や仲間からの影響や、ひょんなきっかけから意欲的な習得・成長へと変化する場合もあります。
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