約束や言動を守るから○○さんは信頼できる。
礼儀正しく、きちんとしているから信頼できそうだ。
一般的にそう考えられていますし、周りから信頼されたい人なら、きっと自身の態度や言動を守ろうとしますね。
このような「相手を信じる」は「オモテの信頼」です。
オモテの信頼は、陰陽なら「陽」の働きがあり、世の中を規則的に動かしたり安定性はありますが、それほど強いパワーはありません。
社交的な付き合いでは、おおいに役立ちます。
「裏の信頼」もあります。
裏というより、実際には大部分を占めている「中身の信頼」と言えるかもしれません。
「裏・中身の信頼」でつながる人間関係や、「裏・中身の信頼」を得る人たちは、必ずしも約束や言動は一致せず、態度の良し悪しはあまり関係ありません。
信頼となる要素は、アテにできないこともしばしば。
しかし、まるで信頼しているかのように、信頼契約が続きます。
これには、ちょっとした心理的な構造があります。
信頼するか、しないかの根本は、自分の本心や思いが、自分の行動や態度と合致しているほど、その力が強くなります。
信頼する対象が自分自身であれ、他者であれ、それは同じです。
信頼するか、しないかを、自分や相手の言動や態度を基準にしていると、「オモテの信頼」のルールになり、基準に則っている限りの信頼になります。
基準から外れるようなことがあれば、信頼はくずれるでしょう。
「オモテの信頼」は、英語ならTrustです。
「裏・本質の信頼」は、英語ならBelieveですね。
「神様を信じる」はBelieve in God.
投資、運用でも使われるのがトラスト。
日常的に、周りの人間関係や、家族・友人・恋人など親身な関係でも、うっかりするとゴッチャにしているかもしれません。
Dさんは、結婚12年目にして、良妻賢母だったはずの奥さまが爆発。あわや離婚話になり、「君の好きなようにしていいから」と伝えて状況を回避しました。
日が経つにつれ、家事や子供たちの世話からも解放される時間が増えてきた奥さまは、だんだん自然体になり、いわゆるムリをしなくなって和やかになってきています。
一方、Dさんは、ふっと奥さまの離婚話の中でも出てきた内容から、浮気をしているのではないか?という不信感が募ってきたそうです。
証拠を突き止めようと、車にレコーダーを仕掛けたのがバレた時の、奥さまの慌てように、不信感がむしろ払拭できなくなりました。
「自分もどうかしていたい」と言いながら、解せないのですね。
さて、Dさんの不信感の主な原因は2つ視て取れました。
それは、「君の好きなようにしていいから」と奥さまに言った手前、自分の本心や自然体を極端に抑え込んでしまったことです。
短期的にはもっても、日が経つにつれて、Dさん自身の内面のズレを、奥さまに投影し(親しい関係や似通った性質をもった者同士は、無意識に投影します)浮気への疑いになったようです。
もう一つは、急に主夫(主婦)モードになったこと。奥さまを気遣うつもりで子供たち3人と寝ることにしたそうです。
とかく家で家事をすることが多い主婦やママたちが、陥り入りがちな、「頭の中でグルグル考えたことに、自ら悩んでしまう」現象が起こりやすいのです。
家族や周りに「あとで話そう」と思っても、帰宅時間のすれ違いや家族が集まり話す時間がないまま、頭の中での妄想が心を窮屈にしてしまう者です。
Dさんのような夫婦や家族の関係。。。職場や仕事上の関係。。。自分自身に対する信頼の基準・起点は同じです。
信頼する方法は、自分が本心で願っているように、自分自身の3つをなるべくメンテナンスしておくとよいでしょう。
体(健康・労りや癒し・鍛えたり磨いたり!)
心(考え・思い)
魂(自分の核とつながるーわかるという感覚・感性)
すると、人間関係や世の中的な「信頼」はもとより、信頼を創り出したり、不信をひっくり返すようなパワー源になります。
ちなみに、「なるべくメンテナンス」程度がちょうどよいのです。
ちょっとは調子がズレてる常態によって、相手・他者と共感したり信頼できるものです。
だから完璧にメンテをしでかすと、新たな不具合が発生するのが常です(笑)