世の中的な「スピリチュアル」というより、もっと普遍的で古今東西に共通するレベルの「精神・氣・魂」の「パワー」について。
私たちが「現実」と捉えている生活では、仕事や人間関係、特定の役割、健康や豊かさなどに「パワー」の基準を見ることが多いでしょう。
点数や分量などを測定するようなナンバリングや、上や下、強さや弱さ、良いー悪いなどを基準に「パワー」を図ることに、すっかり慣れています。
物質世界が優位な観点では、そうなりがちです。
しかし、物質世界ゾーンの同じ領域(認識する方法が限られているので、的確な表現ではないかもしれませんが)には、ざっくり多次元な世界が共に存在しています。
物質同士ではないので、あからさまにぶつかることはありませんが(笑)反応したり、感化したり、いわゆる「不思議」「不可解」現象が起こります。
物質世界もが多次元の域ですが、エネルギーの粗い方になりますね。
昨今の日本の「スピリチュアル」は、宗教というより(←昭和後期から、文化的信仰の視点を外すと、アラートがでる)資本主義に近いようですが、それもトレンドといえそうです。
その時代に生きる私たちがか関わりを持つ「スピリチュアル(本来=精神・氣・魂の世界)」は、それなりに私たちの魂を投影しており、人類意識の進化を促しています。
物質界の認識やあり方の変遷期と合いまっているようです。
そのため、スピリチュアルなあり方、技法や法則(←いかにも物質寄りな観点ですが〜笑)を取り入れることで、これまでの物質至上なシステム構造を動かしています。
歴史と同じく、過度期を生きる私たち世代は、なかなか適応が大変です!
・・・が概ねは適応していっていますね。
さて、本題のパワーですが、物質レベルでは先に挙げたような、目に見えるかそのように認識するパワーですが、原点を突きつめていくと「生命力」となるでしょう。
ライフ・フォースです。
この生命力は、物質である肉体ともちろん密接に繋がっていますが、肉眼(物として認識する)による視覚化ができないエネルギー=氣のパワーによるものです。
肉体を鍛えたり、磨いたり、潜在能力を高めることが、氣=精神=魂のパワーが養われますし、その逆も然りです。
スピリチュアル(精神・氣・魂という意味で、以下統一します)なパワーをつけたり、成長し、磨く方法は、今どきたくさん紹介されています。
引き算的な方法は、瞑想、経や念仏を唱える、断捨離、静寂 など
足し算的な方法は、精神的な学び(〜の法則、リアルな経験・体感をする、旅、呼吸を深める など
表むきのやり方は色々ですが、古えより修行の基本です。
これらの業は、魂レベルの成長期に起こるものです。
成長期が地球時間で長くかかることもあれば、一つの人生では終えず、いくつか転生を介して成長が進むものです。
ちなみに、この域に、競争や、先に成長しているから偉い!というような概念はありませんね。
さて、今、何かパワーが足りない・弱い、もっとパワーをつけたいと感じていて、スピリチュアルやメンタルトレーニング、◯◯科学、など方法論ややり方を求めているとしたら、こんなスピリチュアルパワーを思い、感じると良いタイミングかもしれません。
これは方法論というより、悟りや境地(言葉は仏教ですが)として、昔から在る教え、智慧といえます。
それは、すべてがパワー(生命)である、ということ。
自分より周りの誰か、何かが強いパワーを持っていたり、自分のパワーが弱いと思うのは、物質界の幻想です。
多面的な存在のたった一面を見たときに、そのようなパワーの測り方をしているだけです。
ざっくり事例を挙げると、弱そうな人が周りをみんな振り回したり、強いはずのモノがもろかったり、しますよね。
鰯のように弱いお魚が群れを作って大きな魚にみせたり・・・自然界は、様々なパワー(生命力)が一体となっています。
自分自身の中にも、また人間関係などひとまとまりした中にも、様々なパワーが一体/全体を創っていることが腑に落ちてくると、スピリチュアル・パワーが働き始めます。
物資的なパワーの境界線から自由になると、スピリチュアル=魂=氣=精神が成熟していきます。
これまでも同じ領域にあった現象なのですが、それに気付き、「わかる」ときですね。
いわゆるワンネスですが・・・実感、体現すると、キラキラエネルギー・パワーが出ます。
そういうスペックを、誰もが持って生まれてきているはずです(笑)
ある組織のリーダーとして奮闘中のSさんは、頑張るほど周りと空回りをしたり、バトルが起こり、日々大変とおっしゃいます。本質・真のパワーを思い出すと、舵取りの質が変わりそうです