おかげさまで、ここ数年のイヤー・リーディングを受けた成果を伺う機会が増えました。

2015年版にいらした際に、「昨年のイヤー・リーディングは参考になって」と言ってくださいます(御礼)

一年たくさんのご経験があったでしょうから、大雑把に、かつご本人のツボとなる情報としてお役立ていただけたようで、大変光栄ですconfident

新しい年を前向きに過ごしたい・・・そんなみなさまは、波動・エネルギー・人生の質を上げていきたいと、よりよく活きることに積極的です。そのような方は、普段から周りを元気にする働きがあります。

 

さて、波動やエネルギー、人生の質を上げたいと思っているものの、あいにく「世俗の域」での良し悪しのレベルに留まっていることが、少なくありません。

はじめのうちは向上心と言えますが、いつの間にか、「自分は高まった、偉くなった!」という勘違いの域に到達している場合です。

 

Hさんは、潜在的にハイヤーセルフは波動の高いところにいるものの、日常生活においてあまり気に留めていない様子でした。

その裏づけとなる現象は、イヤー・リーディングのセッション中、Hさんから「それは良いことですか?」「こうしたら悪いんですね」というご質問が多いのです。

言葉の使い方は、日頃の思考パターンを示しています。

 

世間にはとても多い「それは良いこと?わるいこと?」という意識です。

しかし、あいにく、これは自分とつがなりにくくしている、自分の判断を使っていない、自分の感じ方を無視しているとも言えます。

 

微妙なところですが、まだ判断が不確かであり、自己判断によって困ったり、周りに迷惑をかけたらどうしよう・・・という観念からきています。これは、社会性には大事な基準でもありますね。特に集団をまとめるには肝要です。

しかし、自己管理や責任能力がある程度養われ、個が選択してよいレベルまで人生経験を積んできている場合、この基準は臨機応変に扱った方がよろしいでしょう。

 

先のHさんの思考パターンで人生を歩んでいっても、世俗の中での高みを目指しているにすぎないことになります。

 

「世俗」とは、物事・出来事を限られた側面・解釈からとらえた域です。生きる上で基準がある域です。しかし、「生きる」から「活きる」人生に移行していくときには、世俗の域を卒業していきます


「世俗の域」を出ると、多面的(達観)あるいは本質から物事・出来事をとらえるので、そこに通りいっぺんな善悪はありません。

自らが選択することができるし、選択したものが次の局面をつくり、望む結果へつながっていきます。試行錯誤や実験段階もありますが、その選択によってプロセスも早く進んでいくでしょう。

 

しばしば、サイキック講座でもお話しさせていただきますが、スピリチュアルや精神世界(信仰を含む)でも、「世俗の域」で波動や霊的能力、精神的な格などを高めることに囚われている事例が多々あります。

モノで物欲を満たすよりも可笑しな「精神の欲で物欲を満たす」ような。。。どこか滑稽なさまになるようです。

「世俗の域」もそれなりに楽しいですがdelicious

「活きる域」には、智慧による自由な解釈があり、愉しさがあります。

 

「活きる域」には、困る・苦しむ・辛い類の「問題」はありません。そこでは、問うてくる「問題」ですから、それにどう応えるか(応ずるか)という、物事に働きかけがあります。

 

clover 今「世俗」の力が強くてストレスや悩みが多いとしても、この苦しく辛い「問題」という枠から出てみましょう。たとえば、実際に行動したり、違うやり方を試みたり、人の助けを借りたり・・・・much more!!

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