人生には望むと望まざると「修行」が鏤められているようです。
この猛暑と予期せぬ極地的雷雨は修行かも?・・・ということで、今日は「修行」について。
昨今の13チャクラリーディングや個人セッションのセッションを介して、クライアントの皆様から三種類の修行タイプを拝見しました。
① 自らの意志では望んでいないものの、災難や苦難が突然やってくるタイプ。避けよう、解決しようとしても、根本に立ち還るまでは、修行の縛がほどけないケース。意外に、前向きに未来志向の方が、たまに直面しています。
ちなみに、漢字にお詳しいゴルゴ松本氏によれば「困難・災難・苦難の『困・災・苦』を取ると、有り難いになる・・・」とのこと。やっぱり、修行の源ですね。
② 自ら鍛錬、修行をすべきことには、積極的に挑むタイプ。今どきですと、スピリチュアルな活動や、特定の宗教や教えを以て、修行の場へ行きます。それによって日々の在り方や人生を変えようと、真面目なお心がけです。
修行初心者においては、明るい志ですが、ともすると受け身型になります。本質を求めているつもりが、それがマンネリ化すると、「やっているつもり?!」になる可能性も。
③ 自らの内側から研磨、磨きにかかる修行のタイプ。これには、情熱や信念が必要になりますが、存在そのものが修行の主となります。他者の力を借りたり共有することはありますが、自らの気づきや実践力備わっている状態です。
未練のある元彼とバッタリ再会したことで、根本的な課題が浮き彫りになったMさん。とかく、相手と自分の関係、特に相手の状況に囚われ、フォーカスしてきましたが、まずはご自分の在り方をどんどん進化・成長させていくことが修行のようでした。
リーディングの途中で「紫色の仙人」が登場したYさん。近年、ご自分の内面改造に積極的に努力されてきました。紫色の仙人は、「もう自らで研磨する力を備えているし、与えられる修行やヒーリングではなく、自らの力で修行をしたほうがよい。自ら興す修行と、他者から施される業は質が異なる」とのこと。ごもっともです。
いずれの修行も、その人の気質や好みによって与えられたり、選択することが可能です。主観的なもので、どれが楽とか苦しいとか、偉い・未熟という基準を計る意味はありません。
ただ、修行のつもりになっていたり、自虐的な修行を選んでいる場合は、見直してみるとよいでしょう。
そして、人生には、適度な修行がある者ほど、幸せなのかもしれません。