安全第一に越したことはありません。
しかし、むやみに危険を想定してしまうときは、心の中に不自然な恐れがあるようです。
大人になると、危険は承知のうえで、いろいろ判断するように努めます。無謀だと判断すればやりませんし、危険は承知の場合、周到な準備や保険などを利用します。
しかし、コドモの場合は、危ない可能性が高ければ、それはやっていけない!と保護者が判断します。コドモの安全は、保護者や大人達の責任だからです。
13チャクラリーディングと高次メッセージのセッションを終えて、Sさんは「もし答えていただけたらで良いのですが・・・以前から気になっていることがあるんです」と。
Sさんは、車を運転することに、とても強い恐れがあるそうです。交通事故など、危ないことが起こりそうで、どうもハンドルを握る気持ちになれないのです。
しかし、お子さんの成長とともに、車の利用が便利になりそうで、ペーパードライバーから実際に運転するよう、気持ちを切り替えようか迷っていました。
Sさんの車の運転に対する恐れには、Sさん自身から発生した経験ではなく、疑似体験やエピソード、教えによるものだと視てとれました。
Sさんの判断に影響のある人物からで、リーディングの経緯から、お母様かと思われました。
周囲に事故に遭った人がいたかどうかをお尋ねすると、「母ではないのですが、母の知人が事故を起こし、障害を残してしまったことがありました。その後、母が私に事故に遭わないよう、とても強く言ったのを覚えています」と。
事故はもちろん誰でも気をつけなければいけません。
しかし、Sさんの事故に対する印象は、母親が子供に対する心配・保護と被っています。
Sさんが母親から精神的自立を自覚したときに、安全に注意しながらハンドルが握れることでしょう。
しばしば、思春期の男の子がバイクをほしがると、父親は反対するのが定番ですが、これも、「まだおまえが自立するには早いだろう!」と考える親心を示しています。
現実に成人しても、社会や冒険に、強い恐れが残っているときは、親子関係の自立テーマが関与しているかもしれません。