心優しいタイプ、頼まれると断れないタイプ、あるいは人の問題に巻き込まれやすいタイプといった方々が、「どうしたらよいか」わからず、ご相談のお電話をいただくことが多々あります。
「他人」といっても、結婚や別所帯になって久しいきょうだい、親戚も含まれます。自分が直接、相手の問題に関わりがない対象です。
一般的には、友人、知人、他人ながら一緒にいることが多い職場の人、ご近所、習い事の仲間などが「困っている問題」が多いようです。
直接相談されたり、助けてほしいと頼まれることもあるでしょう。愚痴や、本当に困っている話を聞くかもしれません。
「他人の問題」のはずが、どうも自分の感情や人情が反応し、自分のことのように、時間やエネルギーを使ったり、一緒に悩んだり考えこんでしまいます。
厳密には、ケースバイケースですが、ほとんどの場合、明らかな他人の問題(自分が直接関与していない)は、その人が体験する「修行」や「試練」です。
これらは、人が替わりにやることはできません。人の替わりにご飯を食べて消化して排便できない・・・と同じです。
修行や試練を乗り越える中で、導きになるような助けや救いはあります。
しかし、修行や試練を避けたり、省くようなやり方では、結局、しばらくすると形をかえて、その人が向き合うことになります。
このような修行・試練の類いの「他人の問題」は、シンプルなトラブルと違って、本人の根本や在り方に宿っています。ですから、他人ながら、氣や関心を惹くという性質があります。
もし、あなたが他人の問題に必要以上に反応したり、巻き込まれそうになったら、その問題は当人にとっての修行や試練ではないか?観察してみましょう。
特に、精神世界や人の在り方、心理にご興味のある方なら、ある程度の見極めが効くはずですよ。
また、「他人の問題」を聞いてあげたり、関わることで、妙にぐったり疲れる・・・・そんなときも、当人の修行・試練系の特徴です。
人のモノを背負い、抱えるような重量・負荷があるからです。
1、2度、協力したり、サポートして状況が良くなったり、解決したなら、現実の関係や魂レベルの関係でそのような役割があるのでしょう。
再度、似た問題が発生したときは、本人が乗り越える力を信じて見守る側に徹したほうが、健全な関係です。
何より、修行や試練は、魂の成長にとってかけがいのないもの。
実際に、修行や試練(肉体レベルでも)を乗り越えたり、克服した実体験がある方は、修行や試練がどれだけ貴重なものか、人生の宝に匹敵するかが、よくわかると思います。
修行や試練の機会があっても、未消化な段階だと、それは「苦労」になります。
「あれは苦労だったなぁ」という体験があったとしたら、もうひと越え、その苦労を内観したり、昇華してみると、どのような宝・ギフト・意義があるのか、気づくことがあるかもしれませんよ。
繰り返しますが、試練・修行は、本人にとってかけがいのないものなので、あなたが巻き込まれて引き受けなくても、まったく薄情ではありません。
もし、一線引けないとすれば、どうも自分の問題を投影している可能性があります。