最近のNLPプラクティショナーコースの受講生の皆さんや、個人セッションでときどき出てくるテーマです。
人のマネをする。
誰かの取っている行動や様子を「いいなぁ」と感じて、自分も同じように試してみて楽しむ、あるいは力をつける、といった「マネ」は、健康的なものです。
たとえば、流行やトレンドですね。
ところが、人マネをする根底に、自分に対する否定や嫌悪感、はたまた「自分ではダメだから。他の誰かさんになりたい」という無意識な思いがあると、不自然なことになります。
ちょっと人の観察に長けていたり、感性がある人からみると、人マネに納まっている人は、その人らしくない違和感を感じるでしょう。
いわゆる、「自分がない」「自分がいない」ということですね。
そんな人マネモードに入ってしまう当人は、現実の置かれている環境が居心地がわるく、素の自分らしさや、素の自分をイキイキ発揮することが、”久しく”できない状況が続いています。
すると、これは「コドモ心理」に近いのですが、「あの子(人)はいいなぁ〜、自分もあの子(人)になっちゃおう〜」という、歪曲した発想を使いはじめます。
だって、世界観を変えてしまえば、この居心地のわるさは、変えられるだろうし・・・と。
たまにサスペンスドラマで、憧れている人物に成り代って、過去の自分は死んだことにしてしまう(抹消)ストーリーがありますね。
驚嘆な話ですが、本質は酷似しています。(マネっこが嫌われるは、サスペンス的な怖さ、気持ちわるさがあるからです・・・)
もっとも、コドモが成長段階で大人の行動を真似るのは、文字通り成長のプロセスではありますよ。
Sさんは、ご自分でも感じている、「何か本質からずれてしまっているテーマ」についてタイムラインを使ってきっかけになる経験に遡りました。
すると、子供時代に、ある同級生の女の子のことと、子供ながらに家庭の中の不穏な空気を感じて「こういう状況から抜け出したいな」という思いがあったことを、追想しました。
人生一度だし、もっと成功したいと節に願うBさん。いろいろな自己啓発にはまったり、セミナーに通ったり、教材を買い込んでがんばっています。しかし、そんな自分の無理に疲れを自覚はじめていました。
仮に、近い将来に今の状況から抜け出したBさんの意識まで時間を進めてみると、「ありのままの自分、自然の自分でいる安定感」を感じています。
とかく、変化したい、もっと向上したい、いわゆる「自分探し」のひな形の状態にあるときは、存在のユニークさ(唯一無二)や、存在すること=愛(本質)から、どうしたわけか意識が離れて忘れているときです。
人生の疲れが溜まったり、久しく自然から離れていたり、ストレスが強いと、そうなってしまうのが人の常ですね。
NLP的には「モデリング」という手法があります。
モデリングはパクリとは違い、自分が理想・目標とする要素や状況を持っている特定の人を”参考”に、そのエッセンスを、自分らしく応用して、自分のリソースから引き出すものです。
マネや成り代りではありませんよ(笑)
キャッチコピーや精神世界でいわれる、「あなたはそのままでいい」という、ある意味、究極な本質を思い出すと、滑稽な人マネはおさまります。
そして、むしろ、あなたらしい状態での成長や発展につながる方法と続けていくと、力がついていくでしょう。
理想の自分と、今の自分は、けして、別人にしないことです。