インナーチャイルド等のワークで、皆さんに子供の頃の「ある体験」を追体験していただくと、感性や感じ方、理解や認識が、大人のそれらとはだいぶ違うと実感できるようです。
大人になると、多くの人たちは、いつの間にか子供の頃にどう感じていたのか、理解していたのかを忘れてしまうものです。
大人のアタマで子供時代のことを、思い違いしていることさえあります。
子供たちは、小学校高学年になる位までは、当時の親や大人たちの言動を誤解していることが少なくありません。
また、親や先生、大人のほうも、こちらの言わんとすることを、子供側がわかっていないことに、しばしば気付かないままでいます。
Kさんは、「老廃物」や「毒素」になっている過去の感情体験を引き出してみました。
すると、ようやく歩けるぐらいの子供時代の情景が出てきました。
当時大人たちと居間にいて、子供のKさんは2階にある物置が気になって仕方ありません。
というか、2階に行ってみたい好奇心でいっぱいでした。
そのため、階段を上がろうと、小さい足で歩いていくと、大人達は当然ながら「行っちゃダメだよ!」と強い口調で言ってきました。
そりゃそうです。階段に上がるのは危ないと思うでしょうし、2階の物置にはたいしたものが入っていないのを知っているからですね。
しかし、当時の子供のKさんは、なぜダメなのか、大人達の意図はわかりません。
むしろ、「とりあえず、いってみたい、やらせて欲しい」という欲求にダメ!を出されたことで、何のためのダメなのかわかっていません。
ワークでは、イメージ下で、大人のKさんが子供Kさんを抱っこして、2階の物置まで連れていってあげました。
すると、コドモKさんは、連れてきてもらっただけでとても喜び、物置にはたいしたものが何も無いのに、満足に満たされていました。
そして、2階に上がれたことに納得したコドモKさんは、その後は大人たちがみえる、階段のところで落ちついて遊ぶことになりました。
さて、大人のKさんにとっての、この追体験は、Kさんの今現在の生き方を投影しています。大人になると、そしてKさん自身も、ともすると、結果や、結果の先にとらわれてしまいがちです。
何もないなら、やっても無駄ではないのか?と。
しかし、Kさんにとっては、コドモKさんが階段をあがってみたかったように、実際に行動したり、文字どおり動いてみることに「満足を感じる」というわけです。
コドモ、大人に限らず、満足する人生の本質は、「やってみたいときにやってみること」だと教えてくれているようですね。
(ただし、他人の意図、体面、世の中の情勢のために「やってみたい」と誤認識している場合は、理性や客観的視点、内なるホンネに寄るものが大切です)