20世紀全般は、所有感を持つことが、力や能力のシンブルとなりました。

100年のうちには、何を所有するのか?の基準も変化しています。

主には物質、または物質感のあるものです。資格、権力、名声、ステイタス、これらは物やお金と同様の「所有感」をもたらします。

21世紀になり、ここ10年余りの日本では、精神的なものを再認識、重んじるようになりました。

しかし、まだ物質を所有する感覚が強く、物やお金と同様に、満足感、有利・優越感、幸福、成功、実績などを「所有」したがる傾向にありますね。

 

今日、ホワイト成人式(関東・東北は大雪なう)にイヤー・リーディングを受けにいらしたNさん。

Nさんの豊かさのテーマをリーディングすると・・・

「これまでは何かを『所有』する豊かさだったが、この1年を経ると『存在感』による豊かさになる」

というキーメッセージが出てきました。

 

「存在感」は、物質的な所有感を求めすぎて固執すると、皮肉にも備わりません。

所有しているものが、存在感を発しているからです。所有することで存在感、価値観をアピールしすぎると、どこか滑稽なことになります。バランスが取れていないからでしょう。

周囲は、その人物が裸で歩いていたら、なにも存在感を感じません(いや、別の意味で目立つかー笑)

 

Dreamstime_xs_25259969

さて、「存在感」は、基本的には「ちゃんと生きる」ことで培われていきます。

難しく思えるかもしれませんが、毎日、遜色なく、ちゃんと寝る、ちゃんと起きる、ちゃんと食べる、ちゃんと出す・・・・(できれば好きな)仕事をしたり、人と会ったり、楽しく過ごしたり・・・

ちゃんと+自分の意志で考えて動く+何かひとつ夢や目標に集中してみる+気力や体力をつけてみる・・・・などは応用編です。

 

最初から「存在感を所有しよう!」というのはナンセンス!

前出のNさんは、比較的若いときから、物質的な満足は経験をしています。だから、そろそろ次は所有感に惑わされず、「自分を活きる」時期に入っていました。

また、人生にはサイクルがあり、存在感のある人も枯渇するときがあります。そんなときは、また何らかのモノで充足する必要があります。

 

所有することは、人として社会に生きる間には、相応の価値があります。

しかし、その価値を満たす基準が無くなったり、その人自身が亡くなっても相応の価値や影響を遺すのは、「存在感=生きる証」 です。


時代の変遷をみると、物質的所有感にとらわれると、益々面倒で、余計な手間、金、エネルギーを要することになってきています。