何か恩恵を受けるためには、その代償を払ったり、犠牲を伴うものだ、と信じる人は少なくありません。
願いが叶ったなら、何か大事なモノを捧げます、という生け贄思想もあります。
物語や逸話には、よくある世界です。神話、宗教、ある種の精神論には、しばしばある光景です。
なぜなら、人の道を律し天(神)の法則※に則るには、戒めや教訓があるから。
しかし・・・・
「信じる者は救われる」といわれるように、信じた者が「創られた世界」を好んで生きるものです。
代償、犠牲を伴うと信心している人は、自らその方法を選ぶ傾向にあります。
しかし、受けた恩恵は、他の何かに転化してお返しすればよいのです。
智恵や工夫がいります。
願いを叶えるための代償や、逆に、「不幸はバツを被っている」という思想は、よくできた思い込みかもしれません。
先日、リーディングに見えたFさんは、不思議な夢を見たとご連絡くださいました。
『彼(大事な方)の声を得るために、私は聴力を手放した』という夢の逸話です。
あたかも、そのような魂の関係が過去にあったように伺えます。いえ、今のおふたりの関係が、この逸話を創造したのかもしれません。
代償や犠牲を払うという思想は、あがいてもどうしようもないと思う人々を、一旦救ってくれます。それで、現実から少し楽になることもときには宜しいでしょう。
しかし、元気な部分がある人たちに対しては、怠け者にする作用があります。
「ちゃんと活きる!」という面からみれば、代償や犠牲を払うほうが、実は、楽なのです・・・
目を向けたくないことを受け容れ、昇華しながら進むと、「ちゃんと活きる!」日が増えていきます。
※人が創った天(神)の法則