大人は、何かと先(未来)を憂えて、安全に人生を進もうとします。予見の対象は、仕事、プロジェクト、人間関係、恋愛、老後、お金、etc.
あいにく多くの大人は、過去の経験という先入観越しに、未来に向かおうとします。経験や学びが賢明さに通じればよいのですが・・・意外に再利用できないのです。
経験や学びを積むと、自由にモノがみえなくなり、前進が止まります。経験や学びは溜め込まずにサッサと他者のために使い、新しい経験や学びに向かうと、成長し、楽しくなっていきます。
未来のビジョンがクリアに見えない原因は、経験、学び、大事だと錯覚していること等が、曇らせてしまうためです。
一方、無邪気さは、多くの子供たちが持ち備えています。文字どおり邪気がありません。
だから、わざわざ先を予見しようとする必要もないのです。心配も憂いもありません。しかし、だんだん大人がそれを教えていくものです。
無邪気だから失敗するとか、ハメを外すというのは勘違い。もし、そのために予想外のことが起こったなら、それこそ学びと経験になります。
子供が初めて、火が熱いものだとわかるとき、転ぶと痛いとわかるとき、まさにソレです。
たまに、赤ちゃん連れのお母さんやご両親が、将来を案じて、ご相談にみえます。
親御さんがあまりひつこく「この子は将来、どんな子になりますか?」という質問をすると、赤ちゃんはまだ言葉を知らないのに、突然泣き出して、会話を遮ろうとします。おそるべし!!
無邪気は一見弱そうに思えますが、邪気がないので守られています。同じものを見ても、もっと楽しいので♪
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ただいま、サイキックトレーニング半日合宿中。
無邪気になることになんと抵抗の多いことか!(汗)