日々オーラリーディングで拝見する「人生」の断片に、「おぉ、これぞ上質な生き方だな」という智恵のフレームがございます。
Aさんは、生活の随所に、天然なクリエイティブ能力をさりげなく発揮しています。
例えば、多くの人が集まるパーティーや交流会で、雰囲気にイマイチとけ込めず、「場違いなところに参加したな」と思ったときは、人々の表情や会話を遠目に眺めながら、人物観察をはじめます。
「この人は、どんなおうちに住んでいるのかな」「家族はこんな感じかな」「仕事ぶりは・・・」と、まるでストーリーを創るように、場を想像(創造)しているのです。まるでドラマの主人公が、シーンを眺ているかのように。
平凡なTシャツがあると、自分で襟ぐりにハサミを入れて、小粋なTシャツに改造したり、簡単な大工仕事も「このようがいいよね・・・」的にこしらえてしまうのです。
そんなAさんの「人生の自己表現・自己実現」を視ると、「両手を広げて、きれいな青空をニコニコと眺めているAさん」のフォトフレーム(写真楯)が出てきました。
普通なら、フォトフレームには特別な日の写真、お出かけで楽しそうな家族・仲間の写真、記念写真のような絵柄が多いわけです。
しかし、Aさんにとって、青空を仰ぐ何気ない写真は、あることを意味していました。
『この写真がスペシャルだとわかる人は、かつて死んだことを覚えている人だよ』
・・・つまり、輪廻転生があるとして、ほとんどの人はそれをすっかり忘れています。
だから、欲がたくさんあるし、何か特別であることがとても大事に思えています。
当たり前のことは当たり前でしかなく、日常にあるたくさんの感動や関心を感じられなくなっているのですね。
現にAさんは、よく空を眺めたり、朝カーテンを開けるときに、雲の形や、前の雲と次の雲を比べたりして面白がっているそうです。もちろん、当たり前に。
Aさんは、時間にあくせくしないだけでなく、価値観や成果にもあくせくしていません。
「こういう利得があるから、これをやる」とか「こうなりたいから、これをやる」という行動ではなく、そのものを楽しんいる人です。
だれかと比較したり、焦ったり、意味ない批判もありません。
生活に追われている人は、Aさんのような人を「天然」と呼ぶかもしれませんね。
まさしく、天然=ナチュラルですから(笑)
ちなみに、「あくせくする・しない」は、時間のあるなしとは無関係。時間があっても、何かに囚われて日常の素敵がみえない人はとても多いです。
そもそも時間は、自分の感覚が創造しているものです。
生きている間は精一杯生きて、あくせくしてよいのですが、その生きる価値を知っている人とは、生と死がセットであることを、無意識に腑に落としているといえます。