「スピリチュアルとは?」いろいろな切り口がありますが、そのうちの一つ大切なことについて。
某アキバ系アイドルグループに娘さんが入っている母親のAさん。
いわゆるステージママなのですが、娘のことになると、直感や判断力が正確に働き、これまで娘の仕事や将来のために非常に上手く立ち回ってこられました。
そんなAさんは、いつも芸能事務所や娘さんのお仕事の相談の後に、ご自分のことをちょっとだけ話されます。
「私、フツウの人より、直感とか霊的なものはあるような気がするんです。でも、まだちゃんと使えるレベルのものなのか・・・おこがましいんですが、できれば将来はスピリチュアルなお仕事をしてみたいんです。困っている人たちや、自分のことがわかったり、視えたらなって・・・娘のことが落ち着いたらですけど。私、そういうことできるようになりますか?視える素質みたいなもの、ありますか?」
Aさんのお話を伺って、それに対する言葉のような感覚が、ふっと出てきました。
『スピリチュアルとは、何かが特別にわかったり、視えたり、予め知る(予知)ようなことではない』と。
・・・実は、Aさんのようなご質問は、しばしばあります。それもわかるような気がします。
メディアや世俗で捉える「スピリチュアル」はそんなイメージなのかもしれません。
他人や自分が知らない、わからないと思っていることを、ガイド(守護霊)や天使、能力者やグルは知っていると。たまに、それに便乗してもっともらしく振る舞う能力者やグルはいます(笑)
一般社会でいうなれば、ノウハウ、スキル、資格者、特別な知識技術を持っている者、と同じ捉え方をしてしまうのですね。
確かに、現代社会では能力や情報は重宝され、高い価値があります。
でも、リアル精神世界では、何かが特別にわかったり、視えたり、予め知る(予知)ようなことに焦点がゆくことは、人の心の弱い部分を煽り、陳腐な状態になります。
つまり、実際の行動や経験を積まなくなるからです。経験そのものが人生を活きることですね^^
したがって、肉体を伴って経験するために、ほとんど人は、”余計なこと”は、「わからない」「視えない」「予め知れない」となっています。
そして、私たちの不安や問題と感じる多くは、実際にアクションを起こしたり、時が経過することで、おおむね「大丈夫」な事態に変化します。