先頃、これまで一生懸命取り組んできた仕事を放り投げるカタチで退職してしまった、というYさん。
「自分でも意外で、自分らしくない行動をしまったような気がします。次の仕事のことも漠然と考えていますが、もう同じような仕事、業種は選ばないと思います」
退職した直接的な原因を見ると、それは、Yさんの無意識が文字どおり、「仕事を放り投げた!」ようでした。
Yさんがアタマで考えるより、もう限界を越えてしまった、ということです。
会社側は、期待をかけてきたYさんの行動にかなり意表をつかれていましたが、そこは割り切りのよいビジネス。
すぐに次の人材を補填して、支障なく仕事は進んでいました。
Yさんは、仕事に就くことを考えなければいけないのですが、次に探すものは、どうやら「仕事」ではなく、
どういうふうに生きていきたいのか、どういう自分で在りたいか?という問いの先に、「仕事」があるようでした。
これまでの「仕事とはこういうもの」「仕事に対して、自分はどうあるべきか」という姿勢から、
Yさんが何をしたいから、それが仕事になるのか?という構図に変わるようでした。
仕事に使われる立場から、卒業です。この先、人生の表現のひとつに「仕事」と呼ぶものを創り出しそうなビジョンが視えてきました。
時代の流れからみても、仕事マインドのシフトにはよいでしょう。
Yさんにとって、仕事を放り投げたことは、失敗でも後悔の対象でもありませんでした。
そこが生き方を変えるスタートポイントになっています。
何かを終えると、次は始まります。
ちなみに、私たちが何かを探したり、求めるとき、ソノもの自体が欲しいわけではありません。
それを手にいれたときに、「何が手に入ると思っているのか?」を煮詰めると、探し物が変わるかもしれません。
例えば、「仕事を探している」場合、求めているものが、生活の保証なのか、お金なのか、経験なのか、信用なのか・・・それによって、探す対象の見方が違ってきます。
「充実した、満足のゆく人生」を求める人の多くは、安らかなお迎えを求めています。