愛とは、信頼、安心、平安などを包括します。生命力の源です。
さて、特定の人物や家族等から愛が欲しい、愛の確証が欲しいともがいているときは、なかなか苦しいようです。
「愛の確証を求める」ツボにはまると簡単に抜けだせず、身動きが取れません。自分でそのツボから抜ければ楽なのはわかっていながら、生理的に抵抗している何かがあります。絆が強いほど起こりやすく、お互いが苦しみを与えてしまうこともあるでしょう。
Fさんは、長い間、ご家族の絆/しがらみによって動けず、無駄な時を過ごしているように感じていらっしゃいました。もちろん、恩恵やありがたみ、共依存を起こしていることもわかっていながら・・・
求めている愛に気づいてもらうために、病気など、無意識に自分を辛い状況に置いてまで、気づいてもらおうとしてきました。しかし、ご家族の各々も大変な思いを抱えているので、求める愛に全く無反応。身をもって、やや復讐ぎみにPRしても、さらに消耗するだけだったのです。
共依存を断つには、自立の法則で、必要な愛(=生命力)がないと、旅立てない、安心して距離を置けないものです。
愛が足りない、という大前提により、たくさんの可能性を自分で封印している格好になります。
一般的に愛がないと育たない時期があり、その時期に落としどころがあると(事実はともかく、信じていると)、幼ない潜在意識年齢が、社会的成長を留めてしまうのです。幼い愛のカタチのまま。。。
このような幼い愛は、家族関係に限らず、男女のなかで焼き直すケースも少なくありません。
そのようなときは、観念や思考ではなく、潜在意識のプログラムで誤作動しているところを修正してあげたり、元気なプログラムのほうを強化してあげると、新しい行動を起こしていきます。