人のことを羨む、妬ましく思うことは、ダークなエネルギーを相手に送ります
そもそも、自分と自分以外の存在を比較することは、ほとんど意味を為しません。
比較の土台が違うからです。
特定の人のほうが自分より恵まれている、よいものをたくさん持っている、などと羨むことは、
自分の尊厳を開け渡しています。
その自分を下げずむ意識が、羨む対象の人物に対して、負のエネルギーを送りこみ、相手を妨害しようとします。
何より妬みエネルギーの送り主も葛藤がおこり、毒を抱えてしまいます。
自家中毒のようなものですね
ちなみに、ほとんど無意識に羨むことが習慣になっている人もいますよ。
もちろん、妨害された人は、自覚はないかもしれません。
しかし、5歩前に進むと、3歩下がるようなことが起こります。
一方、自分自身の中での比較は、成長や発展につながります
- 2009年03月12日(木)
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- コメント ( 8 )
実感ですね。
我人に勝つ道は知らず、我に勝つ道は知りたり 柳生 宗矩
視野は未だ狭いのですが、
日本を知ればしるほど
問答無用の精神性に感服です。
日本の地にここまで
感性された美しい精神性をポコポコ残すのは
貴重です。
>一方、自分自身の中での比較は、成長や発展につながります
地に足が着き自分というものを信じられるまで、様々な感情を他の人とコミュニケーションすべきと想いマス。
却下、聞き流す、受容と拒絶...多様にプロセスがありますね! (ー.-)Zzzzzz
寿命がくるまでわからないだろう、とこの尊さを何時も感じるのです。
投稿情報:趣味に、読者。 | 2009年3 月14日 (土) 17:00
趣味に、読者。さま
おっしゃるとおり、日本の美徳には己に対して向き合う、切磋琢磨することが基本にあるかと思います。
世界の中でも稀有な意識のようですよ。
>地に足が着き自分というものを信じられるまで、様々な感情を他の人とコミュニケーションすべきと想いマス。
そうですね、人として交流できる特権ですね。
投稿情報:Shima | 2009年3 月16日 (月) 15:36
>世界の中でも稀有な意識のようですよ。
やっぱりそうなんですね!
Shimaさん、
教えてくださり、ありがとうございます。
感謝いたします。
でも、独自の方法にて感じてみたいです(爆)
芸術や宗教でもない、日本の戦国武将さま他..などの遺訓など、精神性を大事しとうござります。初めは気がおかしくなる沙汰でしたが(笑)腑に落ちてしまうと他のことももっと解りやすくなりました。
中国では徳川家康の本が売れてるとか!?
ニュースで見ました。たまたまでしたが、「やっぱりそうだよなあ・・・」と納得致しました。
ではでは失礼いたします。
投稿情報:趣味に、読者。 | 2009年3 月16日 (月) 17:51
こんにちは。
「人を呪わば、穴ふたつ・・」とはよく言ったものです。呪ったほう、呪われたほう、両者に墓穴・・・
ところで、妬まれたほうは、そのダークなエネルギーから、身を守る方法はないのでしょうか?
投稿情報:まーや | 2009年3 月18日 (水) 09:08
趣味に、読者。さま
>芸術や宗教でもない、日本の戦国武将さま他..などの遺訓など、精神性を大事しとうござります。
当時の武将さまも結構人間くさかったのかもしれませんが、まずは精神ありきな時代だったのでしょうね。
特に身分があがるほど、精神性が伴ってこそ、己を律し、他者を率いる。。。のような。
>独自の方法にて感じてみたいです(爆)
そうですよね!体験、体感すれば、すぐですよ(^^)
投稿情報:Shima | 2009年3 月18日 (水) 10:19
まーや さま
>ところで、妬まれたほうは、そのダークなエネルギーから、身を守る方法はないのでしょうか?
これだけでひとつ講座が開けそうな気がいたします(笑)
まず、違和感を感知するのが重要です。
これがなかなか難しい・・・。
でも、私たちは、自己防衛機能を備えていますから、必ず気付くサインがたびたびあるはずです。
そして、呪い手のいる次元意識とあわせないことです。
特に恐れ、否定、罪悪感、欺瞞などです。
・・・オカルトサイトを創りたくなりそうです(笑)
ちなみに、嫉妬・妬みと呪いは似て非なるものですね。
嫉妬、妬みを抱く人は、自分の姿を鏡のように映したがっています。本来は良い種、美しい花を持っていますが、うまく咲かせられないのです。
呪いを抱く人は、種もイマイチ、更に土壌や環境も恵まれず、太陽が照っていません。
☆ここで明るい小話を☆
空港のラウンジで待っていたところ、ビジネスマンが取引先とお電話中。
「いつもなんか、うちのこと祈ってくれてるでしょう?呪いという祈り、ハハハッ」
投稿情報:Shima | 2009年3 月18日 (水) 10:46
>ちなみに、嫉妬・妬みと呪いは似て非なるものですね。
感情レベルの解釈しか解りませんが、私もそう思います。
最近、仕様も無い場合には懺悔という手段と使っています。昔の人はよくやったみたいですけど、なんか、スーっとして前向きな誓いが出来るんです。とても純粋なものです。
現実はそう簡単なものではございませんが。気まぐれに苦労ばっかりです、カカカッ(^-^)
投稿情報:趣味に、読者。 | 2009年3 月18日 (水) 12:51
志麻さま、
コメントありがとうございます。
要は、相手にしない、取りあわない、ということですね。
日々精進とか、何か高い波長のものにイメージを合わせていく、そういったことで身を守っていけそうな気がします。
ありがとうございます!
呪いと妬みは、確かに違いますね。
関連講座、開いてください。開きましょう(笑)。
投稿情報:まーや | 2009年3 月18日 (水) 20:33
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