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精神性の高さ Quality of Spirituality

精神的な活動や仕事についている者は、精神性が高い、と思われがちです。哲学者、宗教家、慈善活動をしている、他にも昨今ならセラピストやヒーラーなどの治療家・・・確かに精神性の高い意識とつながることは特異です。しかし、概ねは俗人です。いわゆる高い精神性にある人たちは、周囲から変人や扱いにくい人と思われているものです。障害を持っており、周囲に手をかける場合もあるでしょう。芸術家やアーチストでも、良識が強い人は俗人寄りです。人づきあいの面で変人扱いされるような人のなかに、高い精神性の人がいるものです。
Mさんは、ひょんことから夫の友達と関係をもってしまいました。倫理観の強いMさんは葛藤したあげく、元のさやに戻る決心をしていました。お互いそれで落ち着いた状況に向かっています。ところで、この友達は、まわりからみると破天荒で能天気、無責任にさえ思える人物だとか。確かに、仕事も点々と変わるし。しかし、彼は、夫の存在に埋もれかけていたMさんの意識に衝撃を与えました。単なる三角関係の問題ではなく、一見平穏を装ってきたMさん夫婦の関係に「このままでいいの?」と波風を立てたのです。夫婦がずっと抑え込んできたものを開けるお遣いをしたような人です。歳月がたって、Mさんが彼との関わりに大事な気付きがあったと、わかることでしょう。
というわけで、悟りや理解がともなう精神活動は、お勉強的な俗学です。
人生で遭遇する実体験こそ、ご自身唯一の精神活動です。実体験を真摯に積んでいくと、誰でも精神性が向上します。
まっ、セラピーやヒーリングはフォローアップ的な役割ですね。

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コメント

まーや

こんにちは!
いつも楽しみに拝読しています。
今回の内容は、わたしが最も知りたかったことのひとつです。思想的にはかなり仏教寄りの人間なので。ありがとうございます。

でも・・・精神性の「高い低い」は、志麻さまのような能力をお持ちのかたは、オーラとしてそれが見えるのでしょうか?

精神性が「高い」って、基準はどこにあるのでしょう?

少しでも高くなりたい・・・と望むわたしはやはり俗人かも(笑)。

まーや

前の質問は夜中に書いたせいか、今よむと自分でもわかりづらいので(笑)、もう一度書き直します。

仏教は宗派によっては戒律が厳しく、そういったものを守ることは大事だと思いますが、でもそれを守っている人たちを見ても、特に精神性が高いかというと、最近よくわからなくなってきているのです。返って破天荒なお坊さんのほうが親近感沸いたりして。

でも、世の中には非常に良識的で非常に精神性が高そうな人もたくさんいらっしゃいます。マザーテレサとか、中西悟堂さん(日本野鳥の会創始者)とか。

逆に、芸術家をきどって、良識や良識ある人を軽んじる人たちもたくさんいます。残念ながら、精神世界系の人にも多いです。

でも芸術家をみていると、確かに結婚を5回ぐらいしているとか、愛人がいっぱいいたとか、そういう人の作品がこれまたすごくよかったりして、人間的にも魅力たっぷりで、憎めなかったして。

でも、今の日本の世の中の乱れはかつてないくらのモラルの乱れや人間は「自由」で何をやってもいいという、「良識」ない考え方からきているのかな、と思うと、じゃあ、精神的な生き方、スピリチュアルな生き方って、どこに基準を置けばいいの?と思います。

先日会ったダンサーは非常に良心的・良識的な人で、かつ精神性も高くスピリチュアルで、しかも本当にアーティスティックな人でした。

あんな人になれたらいいなあ、と(10歳以上年下なのに)、感動しました。

でも「精神性って何」ということを模索することも生きている意味なのでしょうね?

Shima

まーや さま
いつもお読みいただいて有難うございます。それから、コメントの解説も!
精神的(スピリチュアル的)な生き方の基準をどこに置くか・・・難しいですよね。
まーやさんのおっしゃることを、海の世界の生き物たちに例えを借りたらみえてくるかもしれません。イルカやクジラ(ほ乳類ですが)などはいわゆる高等生物として、「精神性が高い」に匹敵するとしましょう。イワシやサンマは昔は庶民魚(今や高級魚)と親しまれ「凡庸な精神性」でしょうか。プランクトンなど単細胞生物も海洋にはいます。「そんな精神意識」もあります。他にも、人間に発見されていない生物が、深海から表層海までたくさん生息していますね。そして、それが気付きようもないバランスで機能しています。環境破壊で多少バランスを崩しながらも、生存を保つよう順応していきます。
ざっくりと、精神宇宙の世界は海洋宇宙と同じように、ヒトからみれば神秘的で未開だと思います。海洋学者は研究するし、魚や海が好きな人は食べたり遊んだりします。
「精神性って何」と模索することは、生きることに関心を持っているのでしょうね。

まーや

コメントをありがとうございます。

なんだか自分でもわかりにくいコメントを書いているなあ、と思います。まだ未消化の部分です。

やっぱり特殊な能力がある人に基準を求めてみたくなる、そこで新興も含めた宗教が流行る(太古の昔から)訳ですが、やっぱり志麻さまが書いておられたように、自分で体験してみて、自分で基準を探すしかないのでしょうね。

究極の選択をしなければいけないときに、自分はただ、良識にしばられているだけなのか、高い意識から考えようとしているのか、わからなくなることがあります。

自分では高尚なつもりが、あとから考えると、ただ広い世界に出るのが怖かっただけ、とか。相手を思ってしていたつもりが、自己満足だったりとか。

海の生物で言えば、わたしはイルカよん、と思って泳いでいたのに、実はイカだったのよ!という感じでしょうか(笑)。

Shima

まーやさま
コメントレスが遅くなりましてスミマセン!
生き方の基準みたいなものは、いろいろあって良いと思いますよ。ただ、人生を楽しむなら哲学者になるな、ともいいます。でも、難しいことを考える遊びもありますね。
ちなみに、イルカ(生き物として)が好きでない人、結構いますよ。知能的で怖いとか、鳴き声がうるさいとか(笑)。
イカも由、タコも由ですよ♪

まーや

たびたびレスをありがとうございます。

海のイカに申し訳ない書き込みだったかも(笑)。

わたしはそうですね、哲学者っぽいですね、子供のころから。観念的なこと大好き♪です。

わたしの質問の裏には、現実的な問題がありました。

以前に、若くてとても魅力的な妻子持ちの男性から言い寄られていたことがあって、散々悩んだことがあったのです。悩んだ末に相手と相手の家族のことを思って振り切りました。

今考えると自分の年齢とかも含めて自信がなかったのだと思いますが、その後はやはり、受け入れてしまったほうがよかったのか、と随分、後悔もしました。

自分は精神的に高い境地から判断したつもりでした、そのときは。こういうとき、自分で自分がだまされてしまわないためには、どうしたらいいのか、という質問のつもりでした。。。

でも、「良識に走って」、結果的にはよかったのではないか、と思っています。

また10年ぐらいたったら、ちょっと後悔したりして?とにかく実体験を重ねていくしかないのですね。

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