人生の転機=スピリチュアルポイント 

 

そんなふうに感じていらっしゃる方が多いようです。

ひと昔前なら「人生の節目」とも言いました。

 

そう、ひと昔前は、転機は竹の節目のように、目に見えてわかりやすかったのです。

 

今も引き継がれているものとして、生と死の間にある人生の節目は、例えば、入学や卒業、成人(20才)、就職、結婚、子供の誕生、定年退職、などなど。

 

しかし、その節目がもはや曖昧になり、ランダムなケースもあれば、人それぞれとなってきました。

そう、目では見えにくくなってきました(笑)

 

より感覚的な人生の節目が、転機・転換期と認識されています。

 

転機・転換期現象を認識しているのは、まだマス(大衆全体)ではないかもしれませんが、物理的に恵まれた社会に生きる人々には浸透しつつあります。

 

また、転機・転換期を意識して生きる人々は、それだけモノには恵まれた時代を生きている魂でもあります。

 

そう、転機・転換期は魂が迎えるタイミングです。

 

「これって転機ですか?」

「どんな転換期なんでしょう?」

というご相談をされる方々は近年急増しています。

 

どうやら魂の転換期を節目で理解しようとしていることが多く、そのギャップで葛藤が起こり、どうしたらよいものか動きが取りにくくなっているようです。

確かに難しいと思います。

 

慣れ親しんだ方程式に、そのままはめ込んでも人生の答えはでないものでして、ただその方程式はちょっとしたところでは便利に使える程度なのです。

 

魂の転機・転換期に、この慣れ親しんだ方程式は使えるものでないことがわかると、無理のある取り組み方は止まるので、そこからは解放されます。

 

周りから見てとれる人生の節目には、儀式や証明書などがあり、目に見えるものの特徴どおり、方程式にはめこめば解答がでます。

ときに、自由回答もありますが、ざっくり答えのくくりですね。

 

学校のテストを思い出していただくとわかるように、先生は最初に答えがあり問題を作ります。

 

一方、魂の転機・転換期には、そのような類の答えはありません。

問題だと思えば、その問題が「こたえ」を導きだすでしょう。

問題だと認識しなかったり、問題を無視すれば「こたえ」の存在はないのかもしれません。

 

新しい生き方やあり方、可能性に気づき始めた方が意識する転機・転換期は、世の中的な絶対的な解答はない次元にあります。

 

だから、転機・転換期を感じ始めたり、予知したり、かなり認識してきている段階なら、そこに注目して問題(トラブルではなく課題として)として扱うかどうかは、自身の魂の関わりです。

 

そこは「自由意志」の範疇で、他者が深く踏み込むことはできない領域です。

 

すこし介入やサポートはできるでしょうが、やはり本人の自由意志しか使えない鍵のようなものです。

転機・転換期は、地味?!というか、厳かで静かなポイントです。

 

肉体をもって生きる一生の間に、転機・転換期はそれほど頻発しません。

転機・転換期の多い人は、それだけ魂の変容が頻繁であり成長を促されています

 

 

厳密には、人生の転機・転換期は本人にしか感じ取れないポイントです。

口に出して誰かに報告したり、話題にするときは、すでに転換期に入っているか、経過した後でしょう。

 

とかく、年齢としては中高年の間に、目立った転機・転換期を迎えるのが特徴です。

 

時代の速度変化により、もしかすると予想していないときに、個人的な転機や転換期が訪れる可能性が増えてきましたね。

 

ほとんどの場合、当初はご本人にとって望まないような問題、トラブルが発生したように認識します。

だから、それを修復したり解決しようします。

それで修復、回復、解決するなら、通常の問題なのでしょう。

 

しかし、そのようにいかないときは、先につながる好転的な転機・転換期です。

 

好転的な転機・転換期の前は、とかく停滞、よどみ、滞留などの重たさが特徴です。

実際に体が重たくなったり、仕事や取り巻く環境がしんどくなったりするようです。

 

今や少しばかり懐かしい「アセンション」から始まった、万人に共通の魂の転機・転換期が、後発でも続行しています。

遅かれ早かれ訪れる人類レベルの転機・転換期なわけですが、当然、個人レベルでも、その波はあがなえず、ですね。

 

 

定年まであと10年余りとなり、転職することにためらいと挑戦が背中合わせであるTさん。

本来、自分でわかって、決める!というタイプの方ですが、職場や立場からくる重さもあり、転機を推し量っていらっしゃいました。

家族や想定する老後の心配もあります。

 

転機だと腹をくくれば動きたいというところでしょうか。

 

その腹のくくりどころこそ、Tさんの自由意志でしか決めようのない要です。

 

Tさんの自由意志の定め方については、Tさんが昔なさっていた、あるスポーツが方法として視てとれました。

 

絶対的な答えがないものであり、「こたえ」に通じる道を選ぶかどうかはご本人次第なのですが、それが明確に「わかる」いくつかの方法やヒントは、こちらで透視することができます。

 

Tさんにとって、地味で覚悟のいる転機になりそうですが、魂レベルのプッシュは確実ですから、ほどなく晴れやかな道に通じることでしょう。

 

なんだか哲学的なまとまりになっていますが、

 

身体が一応健康レベルの私たちが、ふだん意識していないけれどちゃんと心臓が動いてくれている、呼吸ができているようなことは、「自由意志」を象徴している例えです。

そこそこ健康であるなら、おおむねは健やかに「自由意志」が働いています。 

肉体には「自由意志」のような魂の常態が現れますし、魂の示す転機・転換期のサインに沿っているかも示されています(ただし、病いや怪我が魂レベルの恵であることもよくあります)。