もうだいぶ以前より、精神宇宙論を中心に「ワンネス」は語られています。

 

ワンネスは、それに気づくまでは、宙を掴むようにピンとこないものです。

 

頭で理解するよりも、感覚で感じる、自然に気づく、というニュアンスです。

 

言葉で説明するほど、ワンネスがギクシャクしたり、ワンネスに特定の意味づけがついて、本質からブレるような感覚さえあります。

 

・・・しかし、それもアリなのがワンネス。

 

 

 

 

ワンネスであるときは、

 

1)全てのことに、(特にストレスや問題化するような)解釈はなく、ただ、そのことに気がついている。

 

 

 

2)自然な流れに任せている。その流れから、自分の意志が希望することを選択する感覚がある。

 

 

3)自分に対しても、他人(親しくてもそうでなくても)に対しても、尊重すべきは同じ。

 

 

など、代表的な境地です。

 

 

 

 

 

来年に向けて「人生の車輪」コーチングを体験したKさん。

 

 

これまでの生き様として象徴的な「人生の車輪」は、「痛みを伴う人生の車輪」でした。

 

 

Kさん自身「私って、そんなつもりはないですが、自虐的というか、Mだと思います」と。

 

 

 

Kさんは、他人から見れば常に充実した生活を送っているように思われており、ご本人もそれは満足していらっしゃいます。

 

 

 

その土台には、責任感が強く、一生懸命やる、果たす、人に迷惑をかけないように自分の役割を(無理をしてでも)やり遂げるという、まぁ、褒められた性分がありました。

 

 

それは、肩こりや首の傷み、目の疲れからくる頭痛など、慢性的な症状として現れ、それらにもすっかり慣れっ子な様子です。

 

 

痛いのは望んでいないけれど、それでいいと受け入れてしまっています。

 

これは、ワンネスに対して、「分離」した生き方が根底にあります

 

 

 

 

「分離」した世界の価値観は、これまでの社会を動かしており、私たちの多くはそれに準じて生きています。

 

 

「手元にあったお菓子を相手にあげれば、自分のお菓子はなくなる」という価値観です。

 

 

ワンネスでは、手元のお菓子を相手にあげても、自分のお菓子はなくなりません。

 

 

ただ、一旦、お菓子は「本質」に変換されますので、同じお菓子ではない何かが手に入るでしょう。

 

 

 

ワンネスでは、すべてがこの要領ですし、これまでの社会も、大きなワンネスの働きに多くの人が気づかないだけで、ワンネスが作動していました。

 

 

強いていうなら、分離を好む考えが、そのワンネスの働きを止めたり、制御してきたと言えるでしょう。

 

 

また、分離の世界の恩恵として、物質に価値をつけて世の中が成り立ち繁栄していたわけですから。

 

 

 

 

Kさんは、これまで当たり前のように自分が頑張ってこそ結果が出るという信念、思い込みが強くあったようです。

 

 

「自分が頑張ることを優先しすぎると、もっと大きな使えるパワーが働かないんですね・・・楽をすることは怠けるとか、結果が出ないという勝手な思い込みがありました」

 

 

 

Kさんの新しい人生の車輪を「ワンネスの車輪」に変換していくと、

 

 

「一人で頑張って出る結果もいいけど、ワンネスで人と関わると、それとは比べものにならないくらい、大きなスケールでいろいろ動いていくみたいです」

 

 

 

 

しかも、20世紀の物質的成長期から時代を画し、より知能的成長に移行しています。

 

知能や技能は本来分離しない性質ですし、Kさんがワンネスに気づいていくほど、時代に適って、痛みの少ない楽な現実にシフトしていくでしょう。

 

 

 

 

「何が大切か?」という問いに対して、様々な答えがあると思います。

 

その答えに対して「なぜ、それが大切なのか?」と問い続けていくと、きっと究極の答えが出てくるはずです。

 

その究極の答えは、ひょっとしたら、冥土の土産に値するかもしれません。

 

 

*冥土の土産=冥土へ行く際に持参する土産。 それを手に入れて初めて安心して死ねるような事物をいう。(goo国語辞典)