家族や身内、職場の人間関係や友人などは、いつの間にかお互いにわかっているだろう・・・と思い込んでいます。

相手は、自分の気持ちや性質をわかっているだろうと。

自分のほうも、相手のことを自分の主観で理解していたり、知っているつもりでいます。

でも、感覚的なやり取りだけでは、大切なことが伝わらないままであったり、不可解な間柄のままであったりします。

大事に思っている人、大事に思っている気持ちは、遠慮せずに、あまり時間をかけずに伝えておく必要があります。

また、相手の本音を知りたいと思えば、「いつかそのうち・・・」と先延ばしにせず、尋ねてみたり、心を開いてアクションを起こす努力も大事です。

心が閉じてしまうと、これらのことが億劫になったり、根拠なく恐れたりします。

人間である限り、必要なコミュニケーション(態度なり、言葉なり、芸術等の非言語でも)を取るべきです。

そうしないと、生きている実感が失せてしまうのです。

そのことで、本当の命や、生き甲斐のような生命力や活気を無くしてしまうことさえあります。

自分から相手や周囲に働きかけないと、自分のこともわからなくなります。

 

最近、お子さんを不慮の事態でなくされた親御さんは、自殺と言われても確証がもてず、一体子供に何が起こったのか不明なことに苦悩されていました。

遺書がなくても状況的に自殺だと判断され、しかし、今どきはいじめの可能性があるやもしれません。

親御さんは、本当はお子さんにたくさんの愛情を持っていらっしゃるのでしょうが、そのことがお子さんに伝っていなかった可能性はとても強く感じました。

生きているという実感は、愛や痛み(できれば前者が望ましいが)がなければわかないものです。

しかし、日頃から何を考え、どんな行動をしているのか、ほとんど連絡を取ってこなかったお子さんのことは、雲を掴むようにわからないようでした。

 

親御さんは、お子さんが卒業したら車を買ってあげようと、サプライズのつもりでお金を貯めてこられていました。「でも、葬式代になってしまいましよ・・・」とおっしゃる言葉を、お子さんのほうは、当時知る由もなかったでしょう。

 

察すること以上に、愛情や気持ちを伝えること、相手に関心や氣があることをわかりやすく示す、心を開くことは、本来もっと自然にできるものです。

 

家族、恋人、友人、大切な人、困っている人・・・・愛情や気遣いを示すことで、もっと双方がイキイキしていけるはずです。